初めてのお遍路 |
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≪五寺巡る秋の阿波路になみだ雨≫ |
十三番札所大日寺から十七番札所井戸寺に至る |
(バス利用)徳島駅前→大日寺 大日寺→常楽寺→国分寺→観音寺→井戸寺→ (バス利用)和田東→徳島駅前 |
≪十三番から十七番へ≫ |
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一宮神社の参拝を済ませ、十四番へは大日寺から遍路コースに沿って一宮橋を渡るのだが、手前に「一宮郵便局」があるので、まずここで郵便貯金をする。 |
鮎喰川に架かる一宮橋 |
かわいい標識 |
第十四番札所 盛寿山 常楽寺 (せいじゅざん じょうらくじ) | |
本尊 弥勒菩薩(伝弘法大師作) 開基 弘法大師 宗派 高野山真言宗 所在 徳島市国府町延命606 御詠歌 じゃうらくの きしにはいつか いたらまし くぜいのふねに のりおくれずば (常楽の岸にはいつか到らまし弘誓の船に乗りおくれずば) |
弘仁6年(815)、弘法大師がこの地で修行されているとき、弥勒菩薩を感得され、ただちに尊像を刻み堂宇を建立して安置した。そして「私が目をとじたならば必ず弥勒菩薩のおられる理想の世界に往生して、56億余年後に弥勒菩薩に従ってこの地に参り、私の歩いた跡をたどりたい」といわれたという。大師が弥勒菩薩を信仰されいてることは、高野山麓にある九度山慈尊院に本尊として安置されていることからもうかがい知れる。 |
常楽寺門柱 |
御朱印 |
この寺には山門はないようだ。石段を登ると境内が広がっている。境内の特徴は「流水岩の庭園」と呼ばれる、歩きにくいほどの断層がある自然の大岩盤でできた庭園である。これはこの地に境内を移転する際に、山を切り崩し埋め立て、岩盤の奥に堂宇を建てたためにできたとされている。 |
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本堂(上)と大師堂(下) |
流水岩の庭園 |
あららぎ大師 |
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番外霊場 妙霊山 慈眼寺 (みょうれいざん じがんじ) (十四番奥之院) |
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本尊 十一面観世音菩薩 所在 徳島市国府町延命 |
奥の院のご本尊は十一面観世音菩薩、別名子安観音といい安産祈願に訪れる人も多いらしい。 |
本堂 |
御朱印 |
慈眼寺を出て十五番国分寺に向かう。日差しもきびしくなく、絶好の遍路日和というべきか。阿波路遍路の旅はのどかに、きのう、おとといとは大違い。 |
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八祖大師堂 |
金龍山興禅寺 |
六地蔵板碑 |
第十五番札所 薬王山 国分寺 (やくおうざん こくあぶんじ) | |
本尊 薬師菩薩(伝行基菩薩作) 開基 行基菩薩 宗派 曹洞宗 所在 徳島市国府町矢野718−1 御詠歌 うすくこく わけわけいろを そめぬれば るてんしゃうしの あきのもみじは (薄く濃くわけわけ色を染めぬれば流転生死の秋のもみじ葉) |
天平13年(741)聖武天皇の勅旨により国ごとに金光明四天王護国之寺(国分寺)と法華滅罪之尼寺(国分尼寺)の二寺が建立された。阿波は粟の国と長の国が合して阿波の国となり、国府は現在のJR国府(こう)駅附近に置かれ、国分寺は政治の中心から南へ1キロほどの矢野に建てられた。いまの本堂のあるところは、もと講堂であったという。 |
仁王門 |
御朱印 |
山門を入ると正面に重厚な二層の本堂がある。境内右手には本堂跡の遺蹟があり、左手には創建当時の塔の心礎がある。 |
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本堂 |
大師堂 |
創建時の塔の心礎 |
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いのちのさと無料休憩所 案内板 |
第十六番札所 光耀山 観音寺 (こうようざん かんのんじ) | |
本尊 千手観世音菩薩(伝弘法大師作) 開基 弘法大師 宗派 高野山真言宗 所在 徳島市国府町観音寺49−2 御詠歌 わすれずも みちびきたまへ かんのんじ さいほうせかい みだのじゃうどへ (忘れずも導き給え観音寺西方世界弥陀の浄土へ) |
観音寺は天平13年(741)に聖武天皇の勅願道場として創建されたと伝えられている。弘仁7年(816)弘法大師が留錫し、ご本尊の千手観世音と脇士の不動明王・毘沙門天を刻まれ、それぞれ安置された。天正年間の兵火を被り寺は荒廃したが、万治2年(1659)に僧宥応が再興して旧観に復した。領主の蜂須賀氏は信仰が厚く、現在の堂宇はそのころ再建された。 |
仁王門 |
御朱印 |
山門を入ると、正面に本堂、右手が太子堂、右手奥に八幡神社、本堂左手が納経所になっているが、ともかく狭い。車で来られた数名の方と一緒になるが、それだけで境内が一杯になったような錯覚に陥る。 |
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本堂 |
大師堂 |
仏足跡 |
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第十七番札所 瑠璃山 井戸寺 (るりざん いどじ) | |
本尊 七仏薬師如来 開基 天武天皇勅願 宗派 真言宗善通寺派 所在 徳島市国府町井戸北屋敷80−1 御詠歌 おもかげを うつしてみれば いどのみず むすべばむねの あかやおちなむ (おもかげを映してみれば井戸の水むすべば胸の垢やおちなむ) |
井戸寺は、天武天皇の勅願により白鳳2年(674)に開基された。当時は妙照寺と呼ばれ8町四方の広大な境内と12坊を有する大寺であったという。本尊の七仏薬師如来坐像は聖徳太子の作、脇仏の日光・月光菩薩は行基菩薩の作と伝えられている。 |
仁王門 |
御朱印 |
本堂 |
大師堂 |
日限大師堂 |
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大悲殿 |
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