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お遍路紀行 四国八十八箇所
ひとり歩きの記
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 四国には伝染病が蔓延している──『お四国病』という病気である。

 これは〈二度目〉の「四国八十八箇所お遍路の旅」の記録であります。前回の旅を終えたのが2007年の7月末。それ以来、再び〈お四国〉へという、流行り病いのような誘惑に抗しきれず、この8月末から二度目のお遍路の旅を開始しました。それも、前回が「区切り打ち」であったので、今回は「通し打ち」に挑みました。
 未だに、なぜお遍路に出ようとするのか動機も定かではありません。ただ今回は、本来的ではない目的が二つありました。
 一つは、歌一洋先生が主催されている「四国八十八箇所へんろ小屋プロジェクト」で完成した遍路小屋をすべて訪れること。二つには、札所での納経の際に筆書きなしで「朱印」のみ頂戴すること。これは別項で扱っている「納経帳─朱印を読む」で、筆書きがあると朱印が墨に隠れて見えにくいため、印だけを頂戴したいと考えたわけです。この二つはぜひ実行したいと思い、幸いその目的を達成することができました。

 以下に旅の断片を、走り書きしたメモを頼りに、当時を思い起こしながら綴ってみました。しばらくのお付き合いをいただきたく、お願い申し上げます。



   二度目の 四国八十八ヶ所歩き遍路の旅(通し打ち)
(第1章)  (2008. 8.20〜 8.25) 発心(?)の 讃岐路の旅
(第2章)  (2008. 8.26〜 9. 4) 雨に打たれて 阿波路の旅
(第3章)  (2008. 9. 5〜 9.13) 残暑きびしき 東土佐路の旅
(第4章)  (2008. 9.14〜 9.21) 台風襲来 西土佐路の旅
(第5章)  (2008. 9.22〜 9.29) 高原を行く 南伊予路の旅
(第6章)  (2008. 9.30〜10. 7) 旅は道連れ 東伊予から讃岐路へ


 今回の遍路の特色の一つとして、一番札所から廻らずに、七十五番札所である善通寺を出発点としたことであります。これは、一番から打ち始めて結願した後、お礼詣りと称して一番に還るという、一番の陰謀としか思えないような風習に反発を感じたことが最大の理由です。同じ歩くのならば、一番札所以外のお大師さんに最も縁の深そうなところから始めたい、そうすれば八十八番から一番の間を、変な抵抗を感じることなく素直に歩けるのではないかと考えたからにほかなりません。
 この善通寺からスタートしたことが、思わぬ幸運を呼びいれることになろうとは、計画時点では夢にも思わないことでありました。

 この遍路で幸いであったことの一つに、前山のヘンロ交流センターで木村昭一先生にお目にかかり、親しくお話をする機会を得たことがあります。その際木村先生より『澄禅・四国遍路日記』をご紹介いただき、帰阪後さっそく購入しました。これは澄禅大徳が承応2年(1653)に四国遍路を行った日記の翻刻版であり、四国八十八ヶ所を確定したとされる真念の四国遍路より2、30年前の記録になります。澄禅の日記では、札所の番号こそ付されていませんが、ほぼ現在の霊場を巡拝しています。このことは江戸初期において、すでに四国八十八霊場が確定されていたことを意味するものといえるのかも知れません。そのあたりの穿鑿は専門家にお任せするとして、結構面白い内容もありますので、今回のわが旅日記にも『澄禅・四国遍路日記』の該当部分を掲載いたしました。

 もう一点、私の遍路で遍路本来の目的から逸脱した行為に郵便局めぐりがあります。行く先々の局で郵便貯金の預け入れを行い、局のゴム印を押印してもらうのです。たまたま訪れた愛媛県の郵便局で、四国独自の記念切手である「四国八十八ヶ所の文化遺産」を紹介され購入しました。各札所が1枚の切手に描かれているものですから、それぞれの札所を紹介する際にこの切手も併せてご紹介します。

 最後にもう一点。前回のお遍路紀行の毎日の紀行文の先頭に、臆面もなく、俳句(のようなもの、雑俳とでもいえばよいのでしょうか)を掲げておりました。友人のM氏、彼は俳句の素養十分で、たっぷりと年季の入った宗匠でありますが、そのM氏から「あの俳句は良い」とのお褒めの言葉を頂戴しました。恐らく彼の真意は、俳句の出来はともかく、俳句を掲載するという試みがよい、ということでしょうが、何事においても素直な私は、俳句そのものの出来がよいと批評されたと大喜び。それで厚顔にも今回も、NHKのてくてく旅の四元奈生美嬢に倣って、毎日今日の一句として冒頭に掲げております。ただ、前回のようないい加減な句ではいけない、ちゃんと季語も入れ、本来の俳句らしくと、努力をしたものの、8月、9月の季語など豊かに知っている訳がありません。ともかく「秋」さえ入れればよかろうと、やれ「秋日」だの、やれ「秋曇り」だのやたら「秋」だらけの句になってしまったのも已むを得ぬことかも知れません。讃岐・阿波でそんな状態なのですから、本格的な秋を迎える安芸路の旅では、果たして如何相成ることでありましょうか。

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