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    曲江  杜甫

   朝より回かえりて日日春衣を典す
   毎日 江頭に酔いを尽くして帰る
   酒債 尋常 行処にあり
   人生 七十 古来稀なり
   花を穿つキョウ蝶きょうちょうは深深として見え
   水に点ずる蜻テイせいていは款款として飛ぶ
   伝語す 風光 共に流転して
   暫時 相賞して相違たがうこと莫らん


勤め終えれば質屋に通い
飲み屋に毎日入り浸る
酒屋のつけも一杯あるが
どうせはかない人生だもの
花に群がる蝶々を眺め
水面を滑るとんぼと遊ぶ
光あふれる都の野辺に
しばしの春を楽しまん

大雁塔(陝西省・西安市)

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089   ←前の詩次の詩→


 曲江は、長安城の東南にあった池の名。はじめ漢の武帝が造築し、その水流が曲がりくねっているところからこの名がついた。玄宗のときに改修され、長安随一の行楽地としてにぎわった。

   朝廷を退出すると、毎日毎日、春の衣服を質に入れ、
   そのたびに曲江のほとりで泥酔して帰る。
   酒の借金はふつうのことで、行く先々にできている。
   それというのも、人生七十歳まで生きることが昔からめったにないから、
   今のうちに存分に楽しんでおきたいのだ。
   花のまにまに蜜を吸うあげはちょうがむこうの奥に消え、
   水面に尾をつけて卵を産むとんぼがゆるやかに飛んでいる。
   私は自然に対して言葉を伝えたい。私と共に流れゆき、
   どうかほんのしばらくの間でも、
   このよい季節をお互いに楽しみあって、そむくことのないようにしよう。

 乾元元年(758)杜甫47歳の作。これより先、杜甫は安禄山の乱の最中、決死の覚悟で新帝粛宗の仮御所に駆けつけ、その忠誠心によって、左拾遺の官を授けられた。ここにはじめて、若いころからの念願だった朝廷の役職を得た。
 ところが、彼の生真面目な性格は他の役人たちとなかなかウマが合わず、彼自身も宰相房カン(ぼうかん・カンは〈王偏に官〉)が敗戦の責任を問われたのを弁護して、粛宗の怒りを買った。このような意外な成りゆきに杜甫は大きな衝撃を受け、その後しだいに、酒に憂さを晴らすようになっていった。
 この詩はちょうどその時期のもので、「どうせ短い人生、せいぜい楽しくやろう」というところ。彼には珍しく、頽廃的、享楽的な気分が強く全面に出ている。最後の二句は、花の中に深々と入りこんで蜜を吸う蝶と、チョンチョンと尾を水につけてゆっくり飛ぶトンボをとらえ、それをいとおしむように描く。「時止まれ」という、作者の胸の底からの叫びなのであろう。
 第四句の「人生七十 古来稀なり」は「古稀」の語の出典となったもの。杜甫自身も古稀を迎えることはできず、59歳で亡くなっている。

                 (石川忠久「漢詩をよむ・春の詩100選」)



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