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貴志川線紀行 |
2010.4.19(月) ≪たま電車で行く三社めぐりの旅≫ |
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4月18日の日曜日、朝8時からのNHKが『ルソンの壺』で、和歌山電鉄の「貴志川線」を取り上げて放送していました。この路線はJR和歌山駅から、紀の川市の貴志駅を結ぶローカル線です。以前は南海電鉄の路線でしたが、乗客の減少で廃線のやむなきに至り、それを現在の和歌山電鉄が引き継ぎ、猫のたま駅長で一躍有名になったものです。この放送を観ていたカミさんが、あんな電車に乗ってみたいなー、などと言い出しました。ほな、いっぺん行ってみよか、また時間が経つと忘れるさかい明日にしょ、と私にしては珍しく即決した次第です。 |
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貴志川線一日乗車券 |
和歌山駅のホーム |
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賑やかな中吊りの広告 |
こちらはたま駅長 |
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貴志川線路線図 |
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《日前宮(にちぜんぐう)》 |
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日前宮駅から北に狭い路地を少し進むと、通りを隔てて鬱蒼とした木立に包まれた境内が拡がっていました。 |
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日前宮 |
御朱印 |
当社の説明書きによれば、この社は日前神宮(ひのくまじんぐう)と國懸神宮(くにかかすじんぐう)の二つの神社が同一境内にあり、それを総称して日前宮と呼んでいるとのことで、参道を進むと左手に日前神宮が、右手に國懸神宮が鎮座ましましています。 |
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緑に囲まれた境内の参道 |
左側の日前神宮拝殿 |
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たま電車 |
ネコだらけの車輌 |
おもちゃ電車 |
車輌の内部がちょっと気になります |
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たま電車 前方車両 |
たま電車 後方車両 |
文庫コーナー |
檻のなかにはたまの写真 |
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《竈山神社(かまやまじんじゃ)》 |
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鳥居をくぐり境内に入ると、神門に至る参道の左手にグラウンドがあり、観戦者用のベンチがありました。これ幸いとベンチに腰を下ろして昼食といたしました。 |
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竈山神社 |
御朱印 |
竈山神社は、彦五瀬命(ひこいつせのみこと)をお祀りしています。彦五瀬命は神武天皇の兄で、大和平定の途中に戦傷、雄水門(をのみなと)で亡くなり竈山に葬られました。社の北隣には命の御陵があります。 |
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神門 |
拝殿 |
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竈山神社外観 |
彦五瀬命竈山御陵 |
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伊太祁曽駅 |
伊太祁曽駅社屋 |
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《伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ)》 |
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もう20年近く前になりましょうか、神社関連の研究を趣味としている友人の案内で、この神社にお参りしたことがあります。その際宮司さんから親しくお話を伺い、大層親切におもてなしをいただいたことがありました。その当時は拝殿に上る石段の右手に古びた社務所があったのですが、石段の左手に新しく立派な社務所が建てられていました。 |
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伊太祁曽神社 |
御朱印 |
当社の由緒書きは、前の二社とは異なりカラーの立派なパンフレットが準備されています。祭神は素盞鳴命の子の五十猛命(いたけるのみこと)で、木の神様であるとのこと、紀伊国は木の神がお鎮まりの国の意で「木の国」と呼ばれていたのが、奈良時代の国名を二文字にして雅字を充てるという勅令により「紀伊国」となったそうで、伊太祁曽神社が紀伊国の祖神といわれる所以であるとのことでした。またこの社は以前は現在の日前宮の社地に鎮座していたものが、垂仁天皇16年(紀元前14)に日前宮にその地を譲り現在の山東地に遷座したということです。 |
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境内(正面の階段の上に拝殿) |
拝殿 |
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木の俣くぐり |
チェンソー・カービング |
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蛭子神社 |
おさる石 |
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《貴志駅、そして帰路》 |
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伊太祁曽駅で乗車した車両はまたまた「たま電車」。電車が終点の貴志駅に到着すると、ホームで待ち構えていた観光客が、盛んにシャッターを切っています。いやはや、たま人気もここまでくると大したものです。 |
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お休み中のたま駅長 |
たま電車で記念撮影 |
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大池遊園駅 |
貴志川線の未来を“つくる”会 |
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(2010.5.4 記録) |
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(2010.4.19 読売新聞) |
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