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貴志川線紀行


貴志川線紀行 2010.4.19(月)
 ≪たま電車で行く三社めぐりの旅≫

 (南海電車)南海泉佐野駅 ⇒ 和歌山市駅 ⇒(市バス)JR和歌山駅

 (和歌山電鉄・貴志川線)和歌山駅  ⇒ 日前宮駅  日前宮参拝
             日前宮駅  ⇒ 竈山駅   竈山神社参拝
             竈山駅   ⇒ 伊太祁曽駅 伊太祁曽神社参拝
             伊太祁曽駅 ⇒ 貴志駅   たま駅長拝謁
             貴志駅   ⇒ 西山口駅 →(徒歩)貴志川長山郵便局 →
             大池遊園駅 ⇒ 和歌山駅

 (市バス)JR和歌山駅 ⇒ 南海和歌山市駅 ⇒(南海電車)泉佐野駅



 4月18日の日曜日、朝8時からのNHKが『ルソンの壺』で、和歌山電鉄の「貴志川線」を取り上げて放送していました。この路線はJR和歌山駅から、紀の川市の貴志駅を結ぶローカル線です。以前は南海電鉄の路線でしたが、乗客の減少で廃線のやむなきに至り、それを現在の和歌山電鉄が引き継ぎ、猫のたま駅長で一躍有名になったものです。この放送を観ていたカミさんが、あんな電車に乗ってみたいなー、などと言い出しました。ほな、いっぺん行ってみよか、また時間が経つと忘れるさかい明日にしょ、と私にしては珍しく即決した次第です。
 経営不振の貴志川線を南海電鉄に代わって引き継いだのは岡山電気軌道。同社の出資で「和歌山電鉄」が設立され、2006年4月1日より新会社による運営が始まりました。小嶋光信社長によれば、沿線の住民が「乗って残そう貴志川線」のキャッチフレーズを掲げ存続運動を展開しているのを見て、これは立て直すことができると感じたそうです。貴志の特産であるイチゴをあしらった「いちご電車」や、たま駅長にあやかった「たま電車」、おもちゃ販売機のガチャガチャを社内に積んだ「おもちゃ電車」など一風変わった車輌も運行しており、たま駅長人気と相まって一躍脚光を浴びています。

 明くれば4月19日、いよいよ貴志川線の旅に出かける日となりました。朝食をしながら新聞を見ていると(読売新聞を購読しています)、「旅に出ようよ!」のコラムで、この貴志川線が取り上げられていました。まるで我々の行動が見透かされているような感があり、ありがたいようで、何やらいくぶん不気味な感を禁じ得ませんました。(新聞紙面は末尾に添付)

 泉佐野から南海電鉄で和歌山市駅まで行き、駅ビルで昼食用の寿司を購入して、市バスでJR和歌山駅まで参ります。貴志川線はJR和歌山駅の一番はずれの9番のりば。JRの改札口で、貴志川線に乗りたいのですが、ここから入れますか、と尋ねると、ホームで切符を買ってくださいと、改札口はフリーパス。地下道を通って9番のりばの階段を上がると、貴志川線の切符売り場があります。さっそく一日乗車券を購入しましたが、この乗車券ちょっと変わっており、年月日の該当箇所を削り取るというもの。駅員さんが丁寧に削って渡してくれました。
 ホームをうろちょろとしていますと「西国三社参り・スタンプラリー」なる用紙を発見しました。これは沿線の、日前宮・竈山神社・伊太祁曽神社と貴志駅・貴志川観光物産センターに設置されたスタンプを点いて廻るというもの。面白そうなので用紙を持って駅員のところに行き、乗車確認印を押してもらいました。この結果として今日のぶらり旅は、必然的にこの三社詣でがメインとなりました。


貴志川線一日乗車券

和歌山駅のホーム


 ホームで待機している電車に乗り込む前に、昼食用にお茶を買っておこうかと言ったところ、カミさんが、お茶なんてどこにでもあるよ、などと言うものですから、買わずにそのまま電車に乗り込んだのですが、結果的にはこれが失敗。私の四国の歩き遍路の経験からすれば、食料と飲料は手に入る所で手当てするべし。トイレがあれば用を足すべし、というのが鉄則です。このようなローカル線の沿線には、そんなに豊かに自販機などは設置されているわけがありませんでした。


賑やかな中吊りの広告

こちらはたま駅長


 それはさておき、勇んで電車に乗り込みます。乗車当時はそれほどの乗客数でもなかったのですが、発車する頃には6、7分の状態、昼前の11時ころですので、結構な乗車率といえるのではないでしょうか。見たところ半数程度は観光目当ての客のようでした。
 車内は中吊りの広告で賑やかなこと。それもすべて貴志川線に関するものばかりで、たま駅長が至る所に登場しています。なんとなく遠足の小学生といった気分になって参ります。


貴志川線路線図


 スタンプラリーの「三社参り」にしたがって、先ずは日前宮にお参りすることといたしました。ちょうど時間もよし、境内で昼食にしようとの皮算用です。二つ目の「日前宮駅」で下車すると、反対側の車線に「たま電車」が待機しておりました。真っ白な車体に、猫・ねこ・ネコ。にぎやかな車輌です。
 たま電車の出発を見送り、無人駅に降りたちましたが、駅に設置された自販機はジュース系の飲み物ばかり。まあ、お宮さんに行けばあるかもしれないと、日前宮へと足を運びました。




  《日前宮(にちぜんぐう)

 日前宮駅から北に狭い路地を少し進むと、通りを隔てて鬱蒼とした木立に包まれた境内が拡がっていました。
 社務所に立ち寄り、備え付けのスタンプを押印し、拝殿へと進みます。参拝客も少なく、緑に囲まれた境内は森閑として何とも厳かな雰囲気に包まれています。カミさんはこの気分が結構お気に召した様子で、我が家の近くに鎮座している社とはえらい違いだと、盛んに感心しておりました。


日前宮

御朱印

 当社の説明書きによれば、この社は日前神宮(ひのくまじんぐう)と國懸神宮(くにかかすじんぐう)の二つの神社が同一境内にあり、それを総称して日前宮と呼んでいるとのことで、参道を進むと左手に日前神宮が、右手に國懸神宮が鎮座ましましています。
 祭神の日前大神という名前は、日の神である天照大神の別名であるともいわれ、歴史も古く、格式の高い神社であるようです。また当社は紀伊国一之宮でありますが、伊太祁曽神社も一之宮を称しております。伊太祁曽神社の説明書きによれば、同社はもと現在の日前宮の地に鎮座していましたが、日前宮にその地を譲って山東の地に遷座したとのことです。
 それにしても、ここ日前宮の説明書きの分かりづらいこと。御由緒の冒頭部分を以下に転載してみましょう。

謹みて按するに日前大神國懸神宮は 天照陽乃大神の前靈に座しまして其の稜威名状すべからざるなり太古 天照大神の天の岩窟に幽居ましゝ時群神憂ひ迷ひ手足措く所を知らず諸神思兼神の議に從ひて種々の幣帛を備へ 大御心を慰め和はし奉るに當り石凝姥命天香山の銅を採りて大御神の御像を鑄造し奉る。

 この平成の御代に、たま電車に乗ってやってくる観光客が、こんな難しい文章をすらすら解釈できるとでもお思いなのでしょうか。格式が高ければ七難しい顔をしておればよいという訳ではないと思うのですが…。


緑に囲まれた境内の参道

左側の日前神宮拝殿


 境内にベンチでもあれば昼食にしようと考えていたのですが、境内では飲食を禁じるとのこと、またお茶を買うべき自販機もありません。それではと、次なる竈山神社へと向かうことにいたしました。


 さて、再び日前宮駅に帰り待つこと暫し、到着した電車を見ると、これが猫・ねこ・ネコの「たま電車」です。その上対向車線に入ってきた電車は、真っ赤に彩られた「おもちゃ電車」。これはラッキーと大喜びでカメラに収めます。まるで幼稚園か小学生の遠足気分です。


たま電車


ネコだらけの車輌


おもちゃ電車

車輌の内部がちょっと気になります


 これはツイていると、たま電車に乗り込みました。車内は暖かな雰囲気で、座席も一部カーブしており、中央部に木の枠で囲まれた檻のようなものが設置されており、中にはたま駅長の写真が飾られています。前方車両の後方には「ぽち文庫」「いちご文庫」「たま文庫」とした書架が設けられており、子供用の図書が展示されていました。
 6割くらいの座席占有率ですが、ちょうどお昼ころですから、なかなかの乗車率といえましょう。本格的なカメラを構えたお姐さんが、車内の撮影に余念がありませんでしたが、雑誌か何かのカメラマン(ウーマン?)なのでしょうか。


たま電車 前方車両


たま電車 後方車両


文庫コーナー

檻のなかにはたまの写真


 電車はすぐに竈山(かまやま)駅に到着します。たま電車に別れを惜しみながら下車、駅から1キロほど離れた竈山神社にと向かいました。駅のすぐ傍に稲村病院があります。ここならば多分自販機が設置されているであろうと、ずうずうしくも病院内に侵入、待合室にあった自販機からお茶を2本購入した次第です。
 しばらく行くと前方から若いお嬢さんが二人やってきました。カミさんによれば、和歌山駅で同じ電車に乗っていた二人連れだそうです。日前宮をパスして、ここまで先にやって来たものでしょう。ぶらぶらと歩くうち、道の右手にこんもりとした木立がありました。ここが竈山神社です。




  《竈山神社(かまやまじんじゃ)

 鳥居をくぐり境内に入ると、神門に至る参道の左手にグラウンドがあり、観戦者用のベンチがありました。これ幸いとベンチに腰を下ろして昼食といたしました。
 このお社、参道の右手の方には保育所のような造りの建物がありますが、現在は蜘蛛が巣をかけている状態です。かつては寺社などもサイドビジネスとして、保育所などを経営していましたが、少子化が進む昨今ではなかなかうまくは行かないのでしょう。


竈山神社

御朱印

 竈山神社は、彦五瀬命(ひこいつせのみこと)をお祀りしています。彦五瀬命は神武天皇の兄で、大和平定の途中に戦傷、雄水門(をのみなと)で亡くなり竈山に葬られました。社の北隣には命の御陵があります。
 寛政6年(1794)の冬に、この社を訪れた本居宣長は、次の歌を残しているそうです。

 雄叫びの神代の御声思ほへて嵐はげしき竈山の松


神門

拝殿


 このお社の建物は整然として真新しい感があります。ごく最近改修工事でもしたのかとも思われますが、その分、古色蒼然とした厳かさに欠けるのは已むを得ないところでしょうか。
 お参りを済ませ、社務所に備え付けられたスタンプラリーの判をついて、お社を後にしました。
 神社の北側に隣接して、彦五瀬命の墓がありました。もし彦五瀬命が途中で亡くならなかったら、命が初代の皇位に就かれたのでしょうか。それとも古代においては末子相続だったのでしょうか。神話の時代のこととて、無駄な詮索は止めにして次なる目的地、伊太祁曽神社へと向かいました。


竈山神社外観

彦五瀬命竈山御陵



 竈山駅から再び電車で(今度は普通の車輌でした)伊太祁曽駅に向かいます。伊太祁曽駅には和歌山電鉄の本社があり、有人の駅は和歌山駅とここの2ヶ所だけです。駅に掲げられた会社の看板は「和歌山電鐡」となっており「電鉄」ではありません。以前テレビでの小嶋社長のお話によれば、「鉄」の字は「金を失う」となるので旧字体の「鐡」にしたということでした。
 線路に沿って張られた「ずっと!もっと!貴志川線」という「貴志川線の未来を“つくる”会」の横断幕が、地域住民と一緒になって再生を図ってゆこうとする貴志川線を象徴しているようでした。


伊太祁曽駅

伊太祁曽駅社屋


 伊太祁曽駅より数分ほど南に歩いたところに伊太祁曽神社が鎮座していました。




  《伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ)

 もう20年近く前になりましょうか、神社関連の研究を趣味としている友人の案内で、この神社にお参りしたことがあります。その際宮司さんから親しくお話を伺い、大層親切におもてなしをいただいたことがありました。その当時は拝殿に上る石段の右手に古びた社務所があったのですが、石段の左手に新しく立派な社務所が建てられていました。


伊太祁曽神社

御朱印

 当社の由緒書きは、前の二社とは異なりカラーの立派なパンフレットが準備されています。祭神は素盞鳴命の子の五十猛命(いたけるのみこと)で、木の神様であるとのこと、紀伊国は木の神がお鎮まりの国の意で「木の国」と呼ばれていたのが、奈良時代の国名を二文字にして雅字を充てるという勅令により「紀伊国」となったそうで、伊太祁曽神社が紀伊国の祖神といわれる所以であるとのことでした。またこの社は以前は現在の日前宮の社地に鎮座していたものが、垂仁天皇16年(紀元前14)に日前宮にその地を譲り現在の山東地に遷座したということです。
 これは想像ですが、木の神である五十猛命を戴き山林関連で暮しを立てていた氏族が、日前宮の神を戴く天孫系の氏族との争いに敗れ、この地に逃げ延びたということではないでしょうか。ただし二社の距離が近いので、ある程度は平和裏に移譲が行われたものと思われます。


境内(正面の階段の上に拝殿)

拝殿


 拝殿への石段を登ると、左手に「古事記神話の実体験・厄難除け木の俣くぐり」として、注連縄をつけた神木らしきものが置かれていました。この説明書きによりますと、

神代の昔、大国主命(出雲大社の神)が八十神に追われて迫害を受けた時、母神の刺国若比売は木の国(紀伊国)の大屋毘古神(当神社の祭神で五十猛命の別名)のところへ逃がして助けようとします。
木の国に逃れた大国主命は、大屋毘古神の助言により木の俣をくぐり、八十神より難を逃れることができて助かります。
この神話にもとづき、いつしか「この御神木の木の俣をくぐると厄難を逃れることができる」という信仰が生まれ、多くの参拝者がくぐって行かれるようになりました。

 これを見たカミさんは、さっそく木の俣くぐりに挑戦しておりました。
 「木の俣くぐり」の反対側のスペースには「世界チャンピオン城所啓二(きどころ・けいじ)氏のチェンソー・カービング」のコーナーがありました。この説明書きによれば、

木を切るチェンソーで丸太を彫刻するチェンソー・アートは「チェンソー・カービング」とも云われ、犬・熊・フクロウ・龍など様々な彫刻を行います。
チェンソーで仕上げまでを行うため「世界最速の彫刻」と云われ、作品だけでなくその制作過程をエンターティメントとして楽しみます。日本では主に杉材を使用して森林育成に貢献しています。
毎年当神社の「木祭り」(四月第一日曜)には世界チャンピオンの城所啓二氏(龍神村在住)がその腕前を実演奉納してくれます。これらの作品はその時のものです。

 このコーナーには、平成17年から21年までの干支にちなんで、犬・上り亥・大漁豊作子・神丑・躍虎の作品が展示されていました。


木の俣くぐり

チェンソー・カービング


 拝殿の左手に廻ると「蛭子神社」があります。社前にはチェンソー・アートのみごとな龍の彫刻が展示されていました。当社の氏子区域内に祀られていた産土神を合祀したものとのことです。この社の前に「霊石おさる石」なる、ちょっと髑髏のような、ヒョットコの面のような石がありました。説明書きによれば、この石はふるくから境内にあり、その霊験が著しく参詣者は本殿参拝の前に石に手をあてて心気を鎮めたといいます。首より上の病に霊験が著しく、特に泉州方面の参詣者の信仰が篤いそうです。ということは、私なんかはピッタリの対象者なのかもしれません。


蛭子神社

おさる石


 参拝を済ませ、社務所に立ち寄り御朱印を頂戴かたがた、以前ご親切にしていただいた宮司さんのご様子を伺うと、昨年お亡くなりになったとのことでした。ご冥福をお祈りしつつ、伊太祁曽神社を後にした次第です。


 さて、三社へのお参りを済ませ、後はいよいよ貴志駅に赴き「たま駅長」に拝謁することになるわけですが、今朝の新聞の「旅に出ようよ!」の記事によれば貴志駅は目下駅舎の改築工事中とのこと、はたしてたま駅長にお目にかかることができましょうか…。



  《貴志駅、そして帰路》

 伊太祁曽駅で乗車した車両はまたまた「たま電車」。電車が終点の貴志駅に到着すると、ホームで待ち構えていた観光客が、盛んにシャッターを切っています。いやはや、たま人気もここまでくると大したものです。
 駅舎は新聞記事のとおり改築工事中でした。駅前の売店の前に置かれた金網の中で、たま駅長はごろりと横になり休暇中でありました。売店の周りは観光客でごった返しており、たま駅長を撮ったり、たま電車の窓から顔を出して記念撮影に余念がありません。その内容はは分かりませんが中国語の若い女性の声が聞こえてきます。中国から観光旅行にやってきて、わざわざ猫の駅長に会いに来るとは!。たま駅長も世界にその名をとどろかせたものです。


お休み中のたま駅長


たま電車で記念撮影


 たま駅長が誕生したのは2007年1月。この駅長就任について、貴志川線のホームページで小嶋社長は以下のように語っておられます。

たまちゃんパワーにはびっくりしました。

2007年1月5日に「客招き担当」として猫のたまちゃんを貴志駅駅長に任命して以来、大活躍で、まさかお客様が7%以上増えるとは、想像もしませんでした。
まさに“たまちゃんさまさま”で、“たまたま”の大ヒットです。

たまちゃんの飼い主である貴志駅お隣の小山商店のおばちゃんから、公道にたまの猫舎が引っかかっていて、立ち退きを命じられたため、駅舎の中にたまを置いて欲しいとお願いを受けたのが始まりです。

それで、たまちゃんをひと目見れば、これが堂々たる三毛猫ちゃん。たまちゃんと目があった瞬間、ピカッとたまちゃんの駅長姿が頭にひらめいたことと、たまちゃんの目での自己申告で駅長に任命しました。

お陰様で市民団体や行政の皆様の熱い応援や「いちご電車」「おもちゃ電車」のヒットの上に、たま駅長が和歌山電鉄のまさに客招き猫となり、順調に乗客も増加しております。そして我が駅長たまが、地方鉄道再生のシンボルと言われるようになりました。和歌山県を代表するスーパースターになり、和歌山県のイメージアップと観光誘客にお役に立つだけでなく、日本を代表する働く猫として世界に情報発信することも出来ました。

そして和歌山県名誉県民ならぬ名誉県ニャンに相当する「和歌山県勲功爵(和歌山でナイト)位」を頂戴し、まったく「サー大変」なたま樣です。

おかげで人助けならぬ「猫助け」で福を頂戴しました。
もちろん、「いちご電車」や「おもちゃ電車」はじめ、地域のみなさまの応援との相乗効果です。

貴志川線は、毎年5%以上お客様の減る典型的な地方鉄道路線でしたが、「乗って残そう貴志川線」という住民パワーや、行政や政治のみなさまのご支援に背中を押されて、両備グループの岡山電気軌道が中心になって再建することにしました。
住民の一員ではありますが、まさか猫のたまちゃんまでも再建に自ら汗をかいてくれるとは、感激です。

 売店のおばちゃんから依頼があったとき「たまを“駅長”にする」とひらめくか、ひらめかないか、が命運を分けることになりました。帽子をかぶった“駅長”だからこそ話題に上ったので、普通の三毛猫が駅のベンチにいるのでは「まあカワイイ」で済んでしまったことでしょう。
 思うに、チャンスというものはどこにでも転がっているものかも知れません。それを生かせるか生かせないかは、その人の運であり、才であるといえましょう。「天は自ら助くるものを助く」と言いますが、貴志川線を立て直すべく必死に取り組んでおられた小嶋社長だからこそ、たまちゃんという福の神が舞い降りてくれたのかも知れません。

 それにしても大した猫がいたものです。何でも今般たまちゃんは和歌山電鉄の執行役員になったとか。「給料どのくらいもろとんやろか」とカミさんに聞くと、アホなことは考えるなと一笑に付されてしまいました。猫の力で駅舎を建て替えるなんて前代未聞のことでしょう。


 ぶらぶらと貴志川のほとりまで歩きましたが、めぼしいものとて見当たりません。再び駅に戻り観光物産センターの所在を尋ねましたが、少し歩かねばならぬとのこと。そこまで行くのが何となく億劫になり、どうせ大したものはあらへんで、と帰路につくことにいたしました。
 帰りは、ふた駅先の西山口駅で降りて、長山郵便局で郵貯の預け入れを行い、次の大池遊園駅までぶらりと歩いて行きました。


大池遊園駅

貴志川線の未来を“つくる”会


 この「大池遊園駅」も当然無人駅なのですが、花が植わっており、きれいに整備されていました。この3月に「貴志川線の未来を“つくる”会」により、駅のペンキ塗りと大清掃が行われたそうです。
 「貴志川線の未来を“つくる”会」は2004年の9月に本格な活動を開始したとのことです。この「未来を“つくる”」という表現がとてもよい。まだ南海電車の時代から「乗って残そう貴志川線」をキャッチフレーズとして活動し、現和歌山電鉄の小嶋社長もこの言葉に惹かれて再建を引き受ける気持ちになったと聞いています。地元住民と電鉄会社が一体となった貴志川線の、明るい未来を願って已みません。
 では、南海電鉄の手では再建できなかったのでしょうか。恐らく本線との兼ね合いで困難であったのかも知れません。一つには、親方日の丸的な気分で、貴志川線だけで黒字化しようとする意気込みに欠けるのではないかと思います。また「たま」が現れたとしても、それを駅長にしようという柔軟な発想が生まれたかどうか疑問です。いま一つ、南海電鉄には地域住民の利を考える姿勢に欠けるところがあるように思えてなりません。長い目で見て沿線の地域社会とともに栄えていくことよりも目先の利に走る、そんな感を受けるのです。

 「大池遊園駅」から最後の乗車を行い、JR和歌山駅、バスで南海和歌山市駅を経て帰宅しました。残念ながらこの度は「たま駅長」の雄姿にはお目にかかることができませんでしたが、のんびりとした三社詣でという晩春の一日でありました。




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  (2010.5.4 記録)


(2010.4.19 読売新聞)





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