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「奥の細道」紀行 |
2012.1.31 〜 2.5 ≪豪雪の奥の細道を行く≫ 1日目 |
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昨年の1月、大学OBの謡会に参加した際、謡友のMさんから「黒川能を観に行きたいな」との誘いがありました。Mさんを始めとする加古川の謡会の皆さんとは、2009年に佐渡島に薪能の観能にご一緒し、その翌年にも播州赤穂で開催された、新作能『河勝』の観能を共にして、すっかり加古川ファンとなってしまった私にとっては、またとないお誘いでした。 |
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「奥の細道」探訪図 |
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1日目・1月31日(火) | 『安達原』の謡蹟探訪、山形新幹線でかみのやま温泉へ |
新大阪 8:13(東海道新幹線・ひかり462)→ 東京 10:40(東北新幹線・やまびこ59)→ 郡山(マイクロバス)→ 二本松(観世寺『安達原』謡蹟探訪)→ 福島 15:48(山形新幹線・つばさ141)→ かみのやま温泉 → (古窯) |
出発の日を迎えました。集合は新大阪駅の改札口に7時55分。加古川の皆さんは在来線で合流されます。7時半ころ新大阪駅に到着、加古川勢は在来線で来られるから、改札を入った所がよろしかろうと入場し、しばらくうろうろとしているとKさんと出会います。二人で待つことしばし、ひと列車早く来たというTさんも合流しました。やがて在来線の到着時刻となり、Mさんと携帯で連絡をとりホームに上がます。発車ホームで加古川からの7人と合流し、到着した「ひかり」に乗車、定刻どおり東京に向かって発車いたしました。車内では配布された資料に目を通す者、今後の行程に備えて英気を養うべく睡眠をとる者、様々な思いを乗せて、列車は一路東京へと向かいます。ただ車内のテロップで日本海側一帯の豪雪のニュースが流れており、長野・新潟では死者5人、積雪70センチにはいささか肝を潰しておりました。 |
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新大阪駅のホームにて |
富士川からの霊峰富士 |
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いくつかのトンネルを抜けて、関東地方からいよいよ東北地方へ突入です。トンネルを抜けると、それまでの関東平野では見られなかった積雪により、沿線の田畑はすっぽりと白一色に覆い尽くされています。川端康成ならずとも「国境のトンネルを抜けると雪国」になるようです。 |
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郡山駅 |
バスに乗り込む |
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観世寺山門 |
鬼女を埋めたという黒塚 |
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芭蕉は福島で宿り、翌日信夫の里を訪ねており、そこは福島市内の阿武隈川の右岸のあたりらしい。そこから謡曲とも縁の深い佐藤継信・忠信の父親である佐藤庄司の旧跡を尋ねています。 |
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花筐 |
シテ「陸奥の安積(あさか)の沼の花がつみ 地「かつ見し人を恋種(こひぐさ)の。忍捩摺(しのぶもぢずり)誰故ぞ乱れ心は君の為。 |
采女 |
クセ「葛城(かづらき)の王(おほきみ)。勅に従ひ陸奥の。忍捩摺誰も皆。事も疎(おろそ)かなりとて設けなどしたりけれど。 |
錦木 |
サシ シテ「陸奥の忍捩摺誰ゆゑに。乱れ初(そ)めにし我からと シテ・ツレ「藻に棲む虫の音に泣きて。壁生草(いつまでぐさ)の何時かさて。 |
小塩 |
クセ「春日野(かすがの)の。若紫(わかむらさき)の摺衣(すりごろも)。忍ぶの乱れ。限り知らずもと詠ぜしに。陸奥の忍捩摺誰ゆゑ乱れんと思ふ。我ならなくにと。詠みしも紫の色に染(そ)み香にめでしなり。 |
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福島駅 |
「やまびこ」と「こまち」を連結 |
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車窓からの雪景色 |
民家の屋根の積雪 |
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江雪 柳宗元 |
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薄暮のかみのやま温泉駅 |
日本の宿「古窯」(翌朝の撮影) |
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「古窯」の箸袋 |
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(2012.3.4 記録) |
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