メインホールへ戻る 気まぐれ紀行の先頭 |
天河神社参拝記 |
2012.7.16 ~ 17 ≪修験の道場を訪ねて≫ |
||
|
謡友のMさんから「天河社の奉納能を観に行かないか」との誘いのメールが入ったのは、7月3日の夜。久し振りに、北の新地の安物のスナック(お店のママさんごめん)でグラスを傾けているときでした。「多分空いているはずやから仲間に入れて欲しい」旨を返信して、とんとん拍子に話が具体化して行きました。奉納能は7月17日の午後に催行されます。前日から天川に入り民宿で一泊し、観能の後帰途に就こうという計画です。参加はMさん、N女史と私の3人。いずれも大学のOB謠会のメンバーで、N女史は我々より8年ほど後輩になります。今回の企画の言い出しっぺはN女史で、当日の行程策定から宿の手配、奉納能や天川村の資料集めなど、すべて一手に引き受けてやってくれました。 |
|
電車を降りると |
下市口駅 |
| |
弥助寿司 |
|
|
非道な行動をする悪人として登場した人物が、後に実は善人であったことを明らかにする演出を「もどり」というそうです。「すし屋」では、ならず者の権太が、実家にかくまっていた維盛の首を切り落とし、その首と維盛妻子の身柄を梶原平三に渡し、それを怒った父弥左衛門は権太を刺します。ここで初めて権太は、首は実は偽物で、維盛妻子の身代わりとして自分の妻子を差し出したことを明らかにします。余談ながら、子供のころの悪ガキを「ごんた」とよんでいましたが、それはこの「いがみの権太」が原典であるらしい。 |
いがみの権太と吉野川の鮎 を描いた下市郵便局風景印 |
玄関の待合所 |
二階の客間 |
|
大和吉野川の鮎を鮨となし、釣瓶形曲桶に漬けて釣瓶鮨をつくる。其の形釣瓶に似たるを以てその名あり遡る千余年前に始まる。文治年間(1185~89)三位中将維盛卿八島敗軍の後逃れて遂に熊野に潜行せらるゝの途次、父平重盛公の旧臣宅田弥左衛門の家に久しく潜匿せらるゝに際し名を弥助と改む。 |
庭園 |
吉川英治句碑 |
|
|
|
|
さて、これから訪れようとする天川村について、お恥ずかしいことに私はほとんど無知に近い状態です。一般によく知られているのも、内田康夫の『浅見光彦シリーズ・天河伝説殺人事件』によるものではないかと想像します。榎木孝明主演で映画化され、さらに辰巳琢郎および中村俊介の主演で二度テレビドラマ化されています。『道成寺』を舞っていた能の水上流家元の継嗣が変死するというショッキングなストーリーが、能楽に縁遠い一般の視聴者の興味を惹いたものではないでしょうか。私はこれらの映画・テレビも一度も見たことがなく、小説も読んだことがありませんでした。 |
内田康夫『天河伝説殺人事件』 |
せっかく天川村を訪れるからにはと、急遽角川文庫版を購入、当日の車中で読み始めていたところでした。たまたま天川村から帰宅したとき、テレビで辰巳琢郎の『天河伝説殺人事件』が再放送され、はじめて観る機会を得た次第です(小説もドラマもちょっと期待外れでしたが…)。 |
|
天川村MAP(天川村発行パンフレットより) |
|
|
|
「在原業平朝臣之墓」の案内板 |
山腹の土砂崩れの跡 |
|
|
民宿「今西」 |
民宿の玄関とおかみさん |
|
天河大弁財天社 |
|
天河大弁財天社、通称天河神社は日本三大弁財天の一とされています。日本三大弁財天とは、竹生島・宝厳寺、宮島・大願寺と当社をいうようですが、当社の替りに江ノ島の江島神社とする説もあるようです。 |
|
天河大弁財天社 |
|
|
|
前鬼鬼童 |
社殿への階段 |
|
拝殿 |
御朱印 |
朱塗の鳥居をくぐり、太鼓橋を渡ると石造りの鳥居があり、そこから拝殿への階段が続きます。拝殿からは社殿へと上る階段が連なり、階段の上にかすかに社殿が望まれます。拝殿の正面には神楽殿とでもいうのでしょうか能舞台があり、今宵の演奏会に備えて、音響関係の機器が並べられ、調整に余念がありません。 |
|
拝殿の鈴 |
神楽殿では演奏会に備えて… |
|
|
土産に買った五十鈴 |
五社殿 |
|
|
五社殿前の天石 |
石階段右の天石 |
|
|
|
準備された護摩壇 |
|
|
角川春樹の句碑 |
歌碑 |
|
|
|
|
天の川温泉 |
食べきれぬほどのご馳走の夕食をいただき、宵宮祭にでかけました。 |
|
拝殿では神官の動きもあわただしくなってきた |
復興祈願の燈明 |
拝殿の階段中央の復興祈願の燈明に灯りが入り、神事が始まりました。気が付くと階段の中段あたりが踊り場のようになっているのですが、そこに山伏姿の修験者が着座されています。聖護院門跡の修験者なのでしょう。驚いたことに、神事が進行してイの一番に玉串を奉奠されたのは、この修験者でありました。 |
|
神楽舞(その1・稲穂を掲げて) |
神楽舞(その2・鈴と扇) |
宵宮祭りの最後を彩るのは音霊奉納です。神社での前衛音楽の演奏は珍しいことと思います。当社が芸事の神である弁財天をお祀りしているからでしょう。今宵は Swing MASA Osaka Jazz Womyns の演奏が行われます。 |
|
Swing MASA Osaka Jazz Womyns(その1) |
Swing MASA Osaka Jazz Womyns(その2) |
|
天川村での二日目の朝を迎えました。例大祭の神事は10時から行われ、午後1時よりお目当ての能『花月』が奉納されます。 |
|
護摩祈願受付 |
天の川郵便局出張所 |
|
|
南朝黒木御所跡 |
南北朝和解供養宝篋印塔 |
|
|
|
|
神楽(その1) |
神楽(その2) |
|
|
護摩厳修(その1) |
護摩厳修(その2・山伏の問答) |
護摩厳修(その3・四方に矢を放つ) |
護摩厳修(その4) |
護摩厳修(その5・火が放たれる) |
護摩厳修(その6) |
四方へ矢を放ったり、種々の祈祷の後、護摩壇に火が放たれ、我々の祈願した護摩木が投じられました。このような護摩の修法を拝見したのは今回が初めて、立ち昇る白煙に修験道の凄まじさを垣間見た気分でした。 |
午後1時より、お目当ての能『花月』が奉納されました。シテ・片山九郎右衛門、ワキ・平木豊男。 |
|
|
みたらい峡谷と天河神社能面 を描いた天の川郵便局風景印 |
|
|
京都の片山家は、代々九郎右衛門を襲名されており、現在は10世九郎右衛門、前名は清司。片山家と京舞の井上家、さらに観世宗家との関係はかなり複雑ですので、下図にまとめてみました。 |
|
|
メインホールへ戻る 気まぐれ紀行の先頭 |
(2012.10.2 記録) |