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 気まぐれ紀行の先頭
  鳥取紀行


鳥取紀行 2012.9.27 ~ 28
 ≪砂の彫刻とゲゲゲのふるさと≫

 9月27日 大坂 7:37(スーパーはくと1)→ 鳥取 10:12  鳥取市内観光
       (タクシー)→ 砂の美術館鳥取砂丘・(白兎海岸
       鳥取 16:03(快速とっとりライナー)→ 米子 17:43
       (宿泊)皆生温泉・三井別館
 9月28日 皆生温泉 9:45 → 境港 10:20  水木しげるロード
       境港 13:20 → 米子 14:05  米子市内観光
       米子 15:27(やくも22)→ 岡山 17:38
       岡山 17:58(さくら560)→ 新大阪 18:44



 「鳥取の郵便局はまだ行ってないんとちゃうの」
 8月も終わりに近づいたころ、かみさんが言い出しました。
 「まだそんなに廻ってないな」
 「そしたら鳥取砂丘の“砂の美術館”をぜひ見に行きたいな」
 自分の希望するところへ連れて行くのに、私が必ず飛びついてくる「郵便局廻り」を餌にするとは、かみさんも考えたものです。敵も相当のワルといえましょう。
 「越後屋、おぬしもワルよのう」
 水戸黄門ならずとも、そんなセリフが聞こえてきそうです。でも、こういう場合は、なぜ“越後屋”なのでしょう。故田中角栄元総理の顔が頭を過ぎります。まあ、そんなことにて鳥取行きが本格化しました。
 砂丘だけではもったいないから、何かオプショナルツァーを考えるか、と頭をひねりましたが、失礼ながら鳥取では大したものは思いつきません。それならば皆生温泉で一泊して、ゲゲゲの鬼太郎で有名になった境港まで足をのばそうかということとなり、上記のような行程を案出した次第です。
 鳥取・境港・米子で、それぞれⅠ時間強の自由時間を見込みました。かみさんは美術館などを、私は郵便局を、それぞれ別々に廻ろうというものです。さっそく宿の手配と、JRの切符を手当てして、私にしては上出来の計画ではないかと、ひとりほくそ笑んでおりました。

 9月27日、上々の天気に恵まれ、大阪駅7時37分発の「スーパーはくと1号」に乗り込みました。山陽本線を進み、私が少年時代を過ごした上郡駅から智頭鉄道に入ります。この路線は「スーパーはくと」のお陰で黒字路線だそうです。幼いころ聞いた話ですので記憶が曖昧なのですが、戦前にも上郡~智頭を結ぶ上智線の計画があり、一部トンネルも掘られていたそうです。列車は順調に北上し、鳥取駅に定刻通り10時過ぎに到着しました。
 鳥取駅のコンコースには「しゃんしゃん祭り」の傘が飾られていました。その説明書きによりますと

毎年8月に行われる「鳥取しゃんしゃん祭り」。4千人の踊り子が一斉に傘を手に踊り、街の目抜き通りは傘の花が満開に咲き誇ります。そして踊り子が奏でる「しゃんしゃん」の鈴の音が街中に響き渡ります。

 後ほど廻った市内の郵便局の風景印には、すべて「しゃんしゃん祭り」の傘が描かれていましたので、その代表的な2局の風景印をご紹介しておきます。


鳥取しゃんしゃん祭りと
仁風閣に鳥取砂丘を描いた
鳥取中央郵便局の風景印


 

重要文化財仁風閣にしゃん
しゃん祭りの傘を描いた
鳥取東郵便局の風景印


 「しゃんしゃん祭り」について、もう少し詳しく調べてみました。以下は公式サイトによる祭りの由来です。

 昭和36年に商工振興を目的に聖神社、大森神社の例祭と併せて誕生した「鳥取祭」は、市中パレードが主であったため、市民が参加 する機会が少なく盛り上がりが得られませんでした。そこで、鳥取県東部地方に古くから伝わる「因幡の傘踊り」を誰でも 簡単に踊れるようにアレンジして、大衆化することを考えました。
 当時の高田勇鳥取市長は、横枕地区の高山柳蔵氏に依頼して、現在の「きなんせ節」の振付を完成させ、昭和39年の鳥取市庁舎新築落成を記念して、この新作傘踊りを発表しました。昭和40年の祭りからこの踊りを取り入れることになり、祭りの名称を広く募集したところ、山脇豪・藤井恒夫両氏の「しゃんしゃん祭」 が選ばれました。「しゃんしゃん」とは、市街地の温泉で「湯がしゃんしゃん沸く」と「鈴の音がしゃんしゃん鳴る」という意味で名付けられました。
 その後、昭和45年第6回から「鳥取しゃんしゃん傘踊り」の振付が、 そして平成に入ってから、「平成鳥取音頭」、その後、「しゃんしゃんしゃんぐりら」が登場し、現在の鳥取しゃんしゃん祭では、これら4曲が踊られています。毎年4千人を超える踊り子が一斉に踊る華麗な「鳥取しゃんしゃん祭」は、今や全国にも広く知られる祭りとなっています。

 古くからこの地方に伝えられた伝統的な芸能かと思っていたのですが、意外と新しいものだったのですね。


 駅前の広場では砂の建造物が制作中でした。霧吹きのようなもので砂に水を吹きかけながら、板を押しつけて砂を固めているようです。これから訪問しようとしている「砂の美術館」に展示されている作品は、このようにして制作されのでしょう。以下、砂像について「砂の美術館」の公式サイトからの引用です。

 砂像は水で固めただけの砂の塊を彫る彫刻芸術です。素材が砂であるため、制作中から完成後も常に崩れる危険が付きまといます。素晴らしい芸術作品でありながら、崩れやすく、その姿を永遠に維持することができない砂像は、その儚さの中に美しさを秘めているのです。砂という崩れ易い素材に、砂像彫刻家達は果敢に挑んでいきます。そうして生まれた砂像は、多くの人々に感動と驚きを与え続けています。
 砂像は水で固めた砂の塊を彫る砂の彫刻です。「砂の美術館」に展示されている大きなものはピラミッド状に木の型枠を組んで砂を固めますが、小さなものは誰でも比較的簡単に作ることが出来ます。

 凝固剤や接着剤などは一切使用せずに制作するということなのですが、果たして可能なのかどうか疑ってしまいます。完成してもすぐに崩れ去ってしまうのではないかと、あらぬ心配をしてしまいますが、これも余計なことなのでしょう。



鳥取駅前で

制作中の砂像


 午前中、かみさんは美術館などを訪ね、私はレンタサイクルで市内の郵便局を巡りました。
 正午に鳥取駅で待ち合わせ、昼食を済ませたのち、いよいよお目当ての「砂の美術館」のある鳥取砂丘に向かいました。




砂 の 美 術 館
 


 以下は、砂の美術館の公式サイトからの引用です。

自然が気の遠くなるような年月を経て作り出した造形美である「烏取砂丘」。
そこに、人の力で新たな造形美を創り出し、この地を訪れる人に今までにない感動と感激を与えたい。そんな思いが現実となり、2006年11月18日に、「砂」を素材にした彫刻作品である「砂像」を展示する「砂の美術館」を開館しました。
砂像彫刻家兼プロデューサーとして国内外で活躍している茶圓勝彦氏が総合プロデュースを務め、毎年海外各国から砂像彫刻家を招き、世界最高レベルの砂像を展示しています。
2012年4月、世界初となる砂像のための展示施設を整備し、新たな「砂の美術館」が誕生しました。今年のテーマは「砂で世界旅行・イギリス」。砂の美術館は、「砂で世界旅行」を基本コンセプトとし、毎年テーマを変えて展示を行なっています。会期が終われば、砂像はもとの砂にかえっていきます。限られた期間しか存在することができない砂像。その儚くも美しい造形を創り上げる為に、砂像彫刻家は情熱を注ぎ込みます。
永遠に残らないがゆえの美しさが、砂像のもつ大きな魅力の一つなのです。
出来上がった作品の精巧さや迫力はもちろんのこと、決まった場所に限られた期間しか存在できない砂像の持つストーリーを感じながら鑑賞して頂けたら、より砂像の魅力を感じて頂けると思います。




砂の美術館入場口


砂の美術館外観

 「砂の美術館」は今年で第5回を迎えます。最初は2006年11月に「砂」を素材にした彫刻作品である「砂像」を展示する「砂の美術館」を開館しました。この時は「イタリア・ルネサンス」をテーマとしたものですが、完全な屋外での展示であったようです。第2期以降は仮設テントの会場での展示となり、今年の第5期からは、世界初となる砂像のための展示施設常設の展示会場が完成し、屋内での展示となりました。これまで開催した第4期までの仮設テントの会場に比べて、風雨による砂像の崩壊の危険性が随分と減少したことでしょう。さらに展示スペースが約2倍の1600平方メートルと拡大され、2階部分には吹き抜けの展示スペースに張り出したバルコニーが設けられ、会場全体を見渡すことが可能となったようです。
 本年は「砂で世界旅行・イギリス ~語り継がれる大英帝国の繁栄と王室の誇り~」がテーマですが、当然のことながらロンドン・オリンピックの開催に協賛したものでしょう。
 過去4回のテーマおよび主な作品は以下のようです。


  期 間 テ ー マ 主 な 展 示 物
第1期 2006.11.18
~2007.1.3
イタリア・ルネサンス 受胎告知、小椅子の聖母、天使の像、サンピエトロ大聖堂
第2期 2008.4.26
~2009.1.3
世界遺産・アジア編
~アジアの風にのって~
姫路城、バーミヤン大仏と石窟、タージマハル、エローラ石窟の彫刻、兵馬俑、カジュラホ寺院の壁画、万里の長城、西方への旅、ベルセポリスのレリーフ像、アンコール・トム、人頭有翼の牡牛像
第3期 2009.9.18
~2010.1.3
砂で世界旅行・オーストリア編
~貴族文化と音楽の都を訪ねて~
ベルヴェデーレ宮殿、馬車の旅、シュテファン大聖堂、カールス教会、マリア・テレジアと音楽家、ウィーン国立歌劇場、弦楽四重奏、街角の風景、砂漠の民、オペラ座舞踏会
第4期 2010.4.29
~2011.1.10
砂で世界旅行・アフリカ
~偉大なる大陸の歩みを訪ねて~
砂漠の民、チンパンジー、アフリカのアート文化、ゴリラの森、ザンベジ川の探検、ネルソン・マンデラ、鉱山の様子、ヴィクトリア瀑布、アフリカの野生動物、サファリ、先住民と萱葺き家の村、アフリカの風景



館内の風景


 館内の展示場に入ると、周りすべてが赤茶けた砂で造られた作品で埋め尽くされています。ここに来るまでは砂の彫刻なんてちゃちなもんだろう、程度の認識だったのですが、一見してその凄さに驚きました。ただの「砂」が芸術の素材として立派に存在しているのです。たかが砂、されど砂。砂の彫像に完全に圧倒されてしまいました。
 会場は、手前半分が近現代のイギリスを、半分より前方が一段低くなっており、歴史的なイギリスを表現していました。では手前の近代・現代のエリアから作品を順に眺めてまいりましょう。解説は同館のパンフレットを参考にしています。



砂像展示室配置図

                 
   
ウェストミンスター
   
     
エリザベス1世
と絶対王政
     
イギリス
の科学
         
大航海時代
の帆船
 
イギリスの文学
(シェイクスピア)
 
   
イギリス
の歴史
   
街の
にぎわい
   
         
                 
ハンプトンコート
宮殿
     
ウィンザー城
バッキンガム
宮殿
     
大英博物館
                 
衛兵
パレード
         
タワー
ブリッジと
ダブル
デッカー
 
ロンドン塔
 
   
エリザベス
2世と馬車
   
タクシーと
ツーリスト
   
         
                 
     
入 口
     



ロンドン塔
(作者:ケビン・クロフォード Kevin Crawford オーストラリア)


 


 


 入場すると正面にドンと構えており、最初に観客を圧倒します。
 ロンドン塔(Tower of London)はテムズ河畔にある中世の城塞。国王の宮殿として使われたが、それだけでなく、長い歴史においては造幣所や天文台としても使用された。エリザベス1世も即位する前に幽閉されたことがあり、監獄及び処刑場としても有名である。



タクシーとツーリスト
(作者:トーマス・クォート Thomas Koet オランダ)


 


 ブラックキャブ(black cab)と呼ばれるロンドンタクシー。厳しい試験に合格した運転手は街の隅々まで知りつくし、ツーリストにとっても強い味方となっている。ロンドンポリスや公衆電話、雨降る町なみで、象徴的なロンドンの情景を表現している。



タワーブリッジ
(作者:トーマス・クォート Thomas Koet オランダ)


 

 テムズ川に架かる美しいゴシック風のタワーブリッジ(Tower Bridge)。商業発展のため必要となった新たな陸上交通路の確保と、従来の大型船舶の航行を両立させるため、跳開橋として建設された。1886年に着工、1894年に完成した。可動部分は初期の頃水力を利用して開閉していたが、現在は電力を利用している。



ダブルデッカー
(作者:トーマス・クォート Thomas Koet オランダ)


 

 ロンドン名物の赤い2階建てバス、ダブルデッカー(Double Decker)。街の景色を楽しむには格好の乗り物である。1両あたりの床面積を増やして乗車定員を増強したり、2階席の眺望を付加価値とする目的で採用されている。



エリザベス2世と馬車
(作者:アレクセイ・シチトフ Alexey Shchitov ロシア)


 


 

 

 イギリス連合王国16カ国の女王を兼ねるエリザベス2世(Elizabeth Ⅱ)。今年、即位60周年を迎えた。現在女王陛下の移動は通常ロールスロイスで行われるが、婚礼や記念式典等の行事では中世を思わせる豪華で美しい馬車を利用する。



衛兵パレード
(作者:ニコラ・ウッド Nicola Wood イギリス)


 

 ロンドン観光の名物となっている、衛兵。バンドの音楽に合わせてパレードを行う姿が凛々しい。連隊によってボタンや飾りなどは多少異なるが、歩兵連隊の正装は赤い上着に熊の毛皮帽が有名である。



大英博物館
(作者:ジョヘン・タン Jooheng Tan シンガポール)


 

 世界最大級の博物館である大英博物館(British Musium)。ハンス・スローン卿の収集品の公開が博物館の起源といわれ、世界中の美術品等が約800万点収蔵されており、中でもロゼッタストーンなどが特に人気が高い。国外持ち出しが許可されない貴重な物も多く、約15万点が常設展示されている。



ウィンザー城
(作者:リチャード・ヴァラノ Richard Varano アメリカ)


 

 4万5千㎡の床面積を持ち、現存する城で、人が住む城としては最大規模のウィンザー城(Windsor Castle)。エリザベス2世が公式行事のない週末にはここでゆっくりと時を過ごす。1992年には火事が発生したが、バッキンガム宮殿など、いくつかの王宮を一般公開し、その収益を修復に充てている。



バッキンガム宮殿
(作者:ジョヘン・タン Jooheng Tan シンガポール)


 

 バッキンガム宮殿(Buckingham Palace)はイギリス王室の公式宮殿。舞踏会場、音楽堂、図書館等も設置されている。外周護衛を担当する近衛兵の交代儀式が行われることでも有名。夏季に限り一般公開され、毎年異なる展示テーマにより、豪華絢爛な英国王室の一部を垣間見る事ができる。



ハンプトンコート宮殿
(作者:ヤン・リドン Yang Lidong 中国)


 

 ハンプトンコート宮殿(Hampton Court Palace)は、エリザベス1世の時代に全盛期を迎えるチューダー朝の絶対王政の舞台となった旧王宮。16世紀、ヘンリー8世(Henry Ⅷ)の時代から約200年余の間英国宮廷生活、政治、歴史の中心舞台となった。現在は優美な宮殿内や有名な迷路園を含む庭園の美しさで知られる。



イギリスの文学(シェイクスピア)
(作者:ボードリック・バックル Baldrick Buckle イギリス)


 


 

 

 「ロミオとジュリエット(Romeo and Juliet)」「ハムレット(Hamlet)」「真夏の夜の夢(A Midsummer Night's Dream)」などの作品により、最も優れた英文学の作家といわれ、世界文学史にその名を残すシェイクスピア(William Shakespeare)。エリザベス1世の時代、シェイクスピアの戯曲が数多く初演されたグローブ座。現在ではシェイクスピア・グローブ座として復元され、多くのファンを魅了している。



街のにぎわい(酒場の様子)
(作者:タニエル・ベルチャー Daniel Belcher アメリカ)


 


 

 

 大航海時代、港の酒場は船乗り達で賑わっていた。様々な人が出入りし、酒場は生活と切り離せない存在となっていた。英国と言えばパブが有名だが、酒場・宿・食堂、それぞれが機能を重複させる形で発展していったと言われている。



大航海時代を担った帆船
(作者:ブラッド・ゴール Brad Goll アメリカ)


 


 

 

 ヨーロッパにおいて貴重品だった香辛料や毛織物。これらを入手することは、ヨーロッパ諸国による植民地主義的な海外進出が盛んになったことの大きな理由の一つであった。航路の確保は国に繁栄をもたらし、港は様々な交易品、商人や船乗り達で賑わった。



イギリスの歴史(産業革命)
(作者:アンゲフォン・ティビッド Enguerrand David ベルギー)


 


 

 

 イギリスで始まった産業革命(Industrial Revolution)。木炭から石炭への動力源の変化は、石炭の採掘方法にも変化を与え、その際に炭鉱に溜る地下水を排出するために、蒸気機関を用いた排水ポンプが実用化された。この蒸気機関の改良及び応用による蒸気機関車や蒸気船の発明等に伴い、産業構造が大きく変化し、急速に工業化が進展した。



イギリスの科学(ニュートンとダーウィン)
(作者:カレン・フラリック Karen Fralich カナダ)


 


 

 

 「プリンキピア」によって万有引力の法則を唱えたニュートン、「種の起源」によって進化論を唱えたダーウィン。それぞれの分野で革命的な進歩を発展させ、後の文明社会の発展に大きな影響を与えた。

プリンキピアは、力学体系を解説したアイザック・ニュートン(Isaac Newton)の著書のひとつ。『自然哲学の数学的諸原理』(ラテン語原題 Philosophiae naturalis principia mathematica )1687年刊。古典力学の基礎を築いた画期的な著作で、近代科学における最も重要な著作の1つ。運動の法則を数学的に論じ、天体の運動や万有引力の法則を扱っている。
種の起源(On the Origin of Species)は、チャールズ・ダーウィン(Charles Robert Darwin)の進化論についての著作、1859年。岩波文庫版では『種の起原』と表記されている。



エリザベス1世と絶対王政
(作者:イリヤ・フィリモンツェフ Iliya Filimontsev ロシア)


 


 

 

 1558年に王位を継承したエリザベス1世(Elizabeth Ⅰ)。知性と決断力を兼ね備え、生涯独身を貫いた女王は、英国国教会を取り巻く宗教問題の解決法を模索し、スペイン無敵艦隊に勝利し、海の覇権を握り、後にイギリスにおける絶対王政の全盛期を迎え、大英帝国繁栄の礎を築いた。



ウェストミンスター(ロンドンの政治と歴史の中心地)
(作者:レオナルド・ウゴリニ Leonardo Ugolini イタリア)


 

 ウェストミンスター(Westminster)はロンドン中心部を流れるテムズ河畔に位置し、時計塔として世界中に知られるビッグベンをはじめ、現在英国国会議事堂として使用されているウェストミンスター宮殿、ウィリアム王子とケイト妃の挙式が行われたウェストミンスター寺院等の世界文化遺産が隣立する。イギリス王室の激動を物語る歴史地区である。



 展示場2階の出口を出て、緩やかなスロープをたどると、ダイアナ妃の砂像が出迎えてくれます。坂の上には展望台があり、砂丘が一望のもとに見渡せます。またイギリス村と称するオープン・カフェのようなものがありました。


ダイアナ妃

イギリス村


 ダイアナ妃の砂像のように、直接風雨にさらされているものは、短時間しかその姿を全うすることができないのでしょう。砂の彫像は滅びの美学なのでしょうか。
 本来の計画は、砂の美術館を訪れたあと、タクシーで白兎海岸へまわり、末恒駅から快速に乗って米子に向かうというものでした。ところが、かみさんは白兎海岸行きには積極的ではありません。美術館のすぐ下にある「サンドパルとっとり」の売店で、白兎海岸について尋ねたところ、「何もない、神社だけある」というつれない答が返ってくるばかり。とうとうかみさんに説き伏せられて白兎海岸行きを断念、1時間少々ですがバスの時間まで砂丘を探訪することとなりました。




鳥 取 砂 丘
 


 鳥取砂丘へは、確か中学校の修学旅行と、会社の慰安旅行で一度来た記憶があるのですが、それがいつであったか覚えていません。
 鳥取へ向かう特急「スーパーはくと」で、智頭駅の近くだったか、千代(せんだい)川に沿って走っているあたりで、鳥取砂丘に関して「中国山地の花崗岩質の岩石が風化し、千代川によって日本海へ流されたあと、再び潮流で海岸に押し戻されて砂丘ができあがった」というような車内アナウンスがありました。


砂丘“馬の背”のあたり


 

 


 砂丘に入り見晴らしのよいところまで来ると、観光客の姿が見えてきました。海岸近くの盛り上がった「馬の背」あたりまで、小さな人影が眺められます。
 “らくだ屋”とでもいうのでしょうか、らくだに乗って砂漠をゆらゆら歩かせてくれるようです。3頭ばかりのらくだがいましたが、1頭はふて寝をしているようでした。動物保護団体に見られると物議をかもしそうな風景です。むかし訪れたときには、馬かロバが人を乗せていたような記憶があるのですが、かみさんに話すと、それは小豆島の間違いだろうと却下されてしまいました。


乗り手は“楽だ”か知らないが…

こちとら、ラクじゃーないぜ


 砂丘から戻り、白兎海岸に行かなかったせめてもの穴埋めに、土産物屋で「因幡の白うさぎ饅頭」を購入しました。余談ですが「因幡の白兎」伝説には大国主命が登場します。大国主命は歌にも歌われているように「ダイコクサマ」ですが、「大国」を音読した「ダイコク」が「大黒」に通じるところから、大黒天に習合したとのことでした。
 バスで鳥取駅に戻り、快速とっとりライナーで米子の皆生温泉へとたどり着き、一日の行程を終えました。地図を見ると、米子市内の公開堂のある角盤町から皆生温泉の観光センターまでは“皆生街道”と呼ぶそうですが、一直線の道路になっています。かつて“米子電車軌道”という鉄道が敷設されていたようですが、おそらくこの道を走っていたと思われます。
 今日の宿りの三井別館は、外面や館内の内装はそれほど新しくはなさそうですが、客室は新しく清潔。気持ちのよい宿でした。おまけに、今宵は7組程度の泊りで十数名の客。大浴場も貸し切り状態と、のんびりと湯につかることができました。




 鳥取での二日目です。ここ皆生温泉から境港へのルートですが、ホテルの話では9時30分に米子市観光センターから境港行きの直行バスが出ているとのことです。予定より境港到着が1時間ばかり遅れるのですが、どうせ大して見るものもなかろうと、教えにしたがい直行バスで行くことといたしました。


大山と皆生温泉を描く
米子郵便局の風景印


米子市観光センター

大山と皆生温泉を描く
皆生温泉郵便局の風景印


 少し早めにホテルを出て、近くにある皆生郵便局に立ち寄りました。本局と後ほど訪問した米子郵便局の風景印には、皆生温泉が描かれています。
 以下は、バス乗り場の米子観光センターある皆生温泉についての説明書きです。

 明治33年(1900)、浜の漁師たちによって海中に泡立つ泉源が発見された。泉源は浜のすぐ近くであったから、村人が露天風呂を楽しんだという。
 大正11年(1922)、米子の温泉開発の父といわれる有本松太郎氏らが皆生(かいけ)温泉土地株式会社を創立し、本格的な泉源の発掘と温泉街の開発に尽力した。
 大正14年、国鉄米子駅から皆生に至る電車が開通し、温泉街の繁栄は目を見はるものがあった。米子町から4㎞の静かな漁村に、あちこちと木造の温泉宿が建ち始め、伝え聞く地方の人々や各地から多くの文人湯治客が訪れるようになり、
   海に湯が湧く伯耆の皆生
    波の音さえ寝てて聞く 
(昭和11年 野口雨情 作詞)
と歌われるほどになった。
 昭和10年ごろから潮流の変化などによる砂浜の後退が進み、泉源が次々と壊され、旅館の窓下までなぎさになった。
 戦後、護岸堤が造られ、更に昭和46年から離岸防潮堤が築かれて、やっと砂浜の後退がとまった。
 東に国立公園大山(だいせん)を仰ぎ、漁船の浮かぶ美保湾のかなたには、歴史の島隠岐も遠望できる。この白砂青松の地は、米子地方の明美な景観を代表する海浜温泉として有名である。

 ここ観光センターには“花風の足湯”と銘打った足湯が設置されており、この時間にはすでに3、4人が湯につかっていました。
 直行バスは定刻に発車、ほぼ満席の状態です。弓浜半島を海岸沿いに北上し、40分足らずで境港駅に到着しました。




水木しげるロード
 


 ここ境港市は、弓浜半島を小指に譬えますと、その指の第一関節くらいの随分小さな市です。鳥取市の面積が756平方㌖あるのに対し、ここ境港市はわずかに29平方㌖と約4%に過ぎません。人口も僅かに36千人と、まさに片田舎の港町でした。それでも市として存続しているのですから、山陰地方きっての良港として発展してきたといえましょう。
 境港市は漫画家である水木しげるのふるさとです。平成元年に境港市では水木しげるの描く妖怪をモチーフとした銅像を設置した「水木しげるロード」の整備を決定し、平成5年に「水木しげるロード」がオープンしました。その効果で観光客は、平成19年には100万人を突破、さらにNHKの連続テレビ小説の「ゲゲゲの女房」が放映された平成22年には、370万人に達したということです。人口僅か3万5千人程度の町に、単純平均すると1日1万人の観光客が訪れたことになります。この限りにおいては「水木しげるロード」の企画は大成功といえるでしょう。


執筆中の水木しげるを囲む鬼太郎、目玉おやじ、ねずみ男


 バスはJR境港駅前に到着、正面に観光協会の建物があり、鬼太郎をはじめ妖怪一同が出迎えてくれます。また駅前には漫画を執筆中の水木しげる先生と、それを見守る鬼太郎、ねずみ男、目玉おやじのブロンズ像がありました。観光協会で地図やパンフレットを貰って水木ロードの妖怪探訪のスタートです。
 ちょうど境港駅に列車が到着、鬼太郎を描いた妖怪列車です。汽車からはどーっと妖怪ならぬ観光客が降りて来ます。知らぬ間に駅前の広場は結構な人だかりとなってしまいました。驚いたことには観光客の多くが外国人です。中国語、ハングルが飛び交っています。中国人は大声で騒々しいのですぐに判別できそうです。そういえば先ほどの観光協会の係のお嬢さんも中国人でした。ただし、中国・韓国だけではなく金髪碧眼の西洋人もかなり見受けられました。


境港駅前の広場

水木しげるロード


 水木しげるロードを散策します。
 水木しげるロードは駅前の広場から西に伸びる約800メートルの道路をいいます。通りはきれいに舗装されており、両サイドには140体ほどの妖怪のブロンズ像が設置されています。また妖怪グッズなどの店も並び、水木ロード郵便局や妖怪神社、妖怪広場、突きあたりには水木しげる記念館がありました。


妖怪神社

目玉おやじ清めの水


 妖怪神社は、地元の町おこし会社が平成12年に建立したものです。ご神体は樹齢300年の欅の木と黒御影石を組みあわせたもの。米子工業高専が開発した「からくり妖怪おみくじ」では、おなじみの妖怪たちがおみくじを運んでくれるようです。
 神社の前にある「目玉おやじ清めの水」は、茶わん風呂に入っている目玉おやじが水の力でクルクルと回っており、自由に触って回転を変えることができ、脇を流れる水では手を清めることもできるというものです。ちょうど外国人観光客が目玉おやじを転がしておりました。
 ちょっと疑問に思うのは、海外にもわれわれが想像している“妖怪”の概念があるのでしょうか。ゴプリンやオークなどは小説などでよく見かけますが…。


妖怪グッズの店

水木しげる記念館


 水木しげる記念館は平成15年にオープンしました。100年の歴史を誇る料亭を改装して造られたものとか。館内には迫力満点の妖怪オブジェや映像が溢れ、水木ワールドの魅力を満喫できる、ということです。
 以下に水木しげるロードの妖怪たちを3点ほど紹介します。


口裂け女


つるべおとし


山わろ

隠岐へ向かう鬼太郎親子と水木しげる


 最後の作品は逆光のため分りづらいが、隠岐へ向かう鬼太郎親子と水木しげる先生。以下は島根県隠岐の島町の、隠岐水木ロード延長プロジェクト実行委員会による「隠岐は水木サンのルーツです」の碑文です。

「快適な感じですよ。魂の垢を取ってもらったような気持。五百年前に引きずりこまれた感じです!」
平成10年10月、初めて隠岐の武良祭を見学した水木は、自身のルーツが沖でることを確信した。
水木しげるの本名は「武良 茂」(むら しげる)。
水木はかねてから自身のルーツは隠岐の武良鄕ではないかと考えていたという。
隠岐には隠岐の島町の武良街道沿いをはじめ、多くの妖怪ブロンズ像がある。
「隠岐武良祭風流祭り場」には祭りの笛や太鼓に合わせて踊る「踊る水木しげる像」が建立されている。
台座に設けられた穴は隠岐に繋がっています。この妖怪トンネルを通って隠岐に来ませんか?

 水木しげるロードには「妖怪ポスト」が設けられています。ここから投函した手紙には「妖怪消印」が押されるとのことですが、恐らく下に掲げた境港郵便局の風景印が押印されると思います。また水木ロード郵便局から出した手紙には同局の風景印が押されるのでしょう。
 この後、市内の郵便局を数局廻り、風景印を押印しましたので、JR境港駅のスタンプとともに以下に掲載します。(「アニメのヒーロー・ヒロイン」シリーズの記念切手に「ゲゲゲの鬼太郎」がありましたので、記念に購入しました。)



JR境港駅のスタンプ


ゲゲゲの鬼太郎記念切手

境港郵便局
(鬼太郎と一反もめん)

水木ロード郵便局
(鬼太郎とゲタ)


境港東本町郵便局
(ねずみ男)

境港渡郵便局
(こなき爺)


境港外江郵便局
(一反もめん)


境港竹内郵便局
(砂かけ婆)



 妖怪の銅像を見物したのちあわただしく郵便局を廻り、鬼太郎列車に乗車してJRで米子駅に出ました。米子と境港を結ぶJR境線には16の駅がありますが、すべてに妖怪の名が付けられていました。境港駅=鬼太郎駅、上道駅=一反木綿駅、米子空港駅=べとべとさん駅、米子駅=ねずみ男駅、といった塩梅です。ちなみに米子空港の愛称は、言わずと知れた「米子鬼太郎空港」。


鬼太郎列車


車内はねずみ男だらけ


 米子では1時間ちょっとの時間を利用して、またまた郵便局廻りをいたします。15時27分の特急やくもで岡山駅に出て、そこから新幹線で帰阪しました。因幡の砂の芸術と伯耆の妖怪による町興しを眺めましたが、観光というよりは郵便局廻りであわただしい二日間の鳥取の旅でありました。




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  (2012.10.14 記録)



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