メインホールへ戻る 気まぐれ紀行の先頭 |
人丸謡曲ツアー |
2017.9.6 ≪人丸謡曲ツアー≫ |
||
|
徒然謡倶楽部を主宰するМさんは、以前より明石の柿本神社に参拝、奉納謡会を開催したいという企画を温めておられました。本年3月に実施した、竹生島から湖西の謡蹟を廻る“湖西謡曲ツアー”は一泊の行程であったため、参加者は若干少なめでありました。そこで多数の参加が見込まれる日帰りのツアーを、明石の柿本神社で実施しては如何との企画がMさんより提案され、さっそく3月9日に現地の検分を実施いたしました。幸いなことに、当社の宮司のお姉さまに当たるTさんは、Mさんの中学時代の同窓生で、そのご縁で宮司さんを紹介していただき、細部にわたる打ち合わせを行うことができました。 |
|
柿本神社、『忠度』謡蹟探訪地図 |
|
さて、9月6日を迎えました。今回の参加は、徒然謡倶楽部では、いなみ野学園関係者21名、大学能楽部OB9名、その他4名。衣川コミセンからは15名の参加を得て、合計49名という、過去に例を見ない大人数となりました。さらにこれ以外にもかなりの見学希望者が見込まれるとのことで、果たして会場に入りきれるであろうかと、Mさんは朝から心配顔でありました。地元の方に伺いますと産経新聞や神戸新聞の地方版で、池田さんの新曲奉納の記事が大きく報道され、それを見た愛好者の参加が予想されるとのことでした。 |
|
予定では10時に山陽電車の人丸前駅に集合です。このところ、ややぐずついた天候が続いており、空模様が気掛かりでしたが、幸いなことにお日さまが顔を出す好天に恵まれました。ところがその蒸し暑いこと。早めに到着した面々は、日陰を求めて高架の蔭に待避するありさまです。駅で本日の資料等をいただき、三々五々神社への坂道を登りました。 |
|
柿本神社東の鳥居と社号標 |
|
|
厳しい階段を上る |
神門 |
《柿本人麻呂》 |
|
柿本神社に参拝するにあたり、まず祭神である柿本人麻呂について考察してみましょう。以下 Wikipedia 等を参照しています。 |
|
人麻呂の経歴は定かではないが『万葉集』の詠歌とそれに附随する題詞・左注などによれば、持統3年(689)から文武4年(700)まで作歌活動を行っている。賀茂真淵によれば草壁皇子に舎人として仕えたとされているが、決定的な根拠があるわけではなく、複数の皇子・皇女(弓削皇子・舎人親王・新田部親王など)に歌を奉っているので、特定の皇子に仕えていたのではないだろうとも思われる。近時は宮廷歌人であったと目されることが多いが、宮廷歌人という職掌が持統朝にあったわけではなく、結局は不明というほかない。ただし、確実に年代の判明している人麻呂の歌は持統天皇の即位からその崩御にほぼ重なっており、この女帝の存在が人麻呂の活動の原動力であったとみるのは不当ではないと思われる。 |
|
『万葉集』巻二に讃岐で死人を嘆く歌が残り、また石見国は鴨山での辞世歌と、彼の死を哀悼する挽歌が残されているため、官人となって各地を転々とし最後に石見国で亡くなったとみられることも多いが、この辞世歌については、人麻呂が自身の死を演じた歌謡劇であるとの理解や、後人の仮託であるとの見解も有力である。また、文武天皇4年に薨去した明日香皇女への挽歌が残されていることからみて、草壁皇子の薨去後も都にとどまっていたことは間違いない。藤原京時代の後半や、平城京遷都後の確実な作品が残らないことから、平城京遷都前には死去したものと思われる。 |
『万葉集』巻三(249~256)に人麻呂の“羇旅の歌”8首が収められており、ここ明石の地に関連した歌があります。(高木市之助他・校注『万葉集』日本古典文学大系・岩波書店、1957) |
|
柿本朝臣人麿の |
|
|
《柿本神社》 |
|
社伝によれば、仁和3年(887)に明石の岡(現・県立明石公園)にあった楊柳寺(後の月照寺)の覚証という住僧が、夢中に柿本人麻呂の神霊がこの地に留まっているのを感得し、寺の裏の古塚がその塚であることが判明したために塚上に人麻呂を祀る祠を建てて寺の鎮守としたことに創まるといいます。江戸時代に入り元和3年(1617)小笠原忠真が信濃国松本から明石に転封となって明石城が築城されることとなり、元和5年に現在の地に移されました。明治維新以前は柿本神社と月照寺は一体でしたが、明治維新の神仏分離令により、月照寺とは別の宗教法人となりました。 |
|
柿本神社拝殿 |
御朱印 |
柿本神社境内案内図(当社サイトより) |
|
|
|
『播磨名所巡覧図絵』より |
|
||
五社稲荷社 |
< 御筆柿 |
|
|
||
人麻呂ほか歌碑 |
亀の碑 |
|
|
||
御神木(筆柿)と石造狛犬 |
盲杖桜 |
|
|
||
前述の『播磨巡覧名所図絵』に、この「ほのぼのとまことあかしの~」の歌が記載されています。この伝承はかなり著名だったようで、古川柳に次のような句があります。 |
||
八房の梅 |
天神社・荒神社 |
|
|
||
野崎英夫歌碑 |
西南戦争の大砲か |
|
|
||
パオホール |
亀の手水舎 |
|
|
《参拝》 |
||
境内をひと通り拝観いたしました。そろそろ参拝の刻限が近づいています。本日のメンバーは全員ご老体でありますが、それをばものともせず、神社の長い石段を上り三々五々境内に到着、受付を済ませます。10時30分頃、拝殿に案内されめいめい着座いたしました。 |
||
修 祓 の 儀 |
||
|
《奉納謡会》 |
|
参拝が終わり、みなさん社務所二階のパオホールに入場します。会場には円型テーブルが6卓準備されており、くじ引きにより所定の位置に着座しました。これから昼食休憩を挟んで奉納謡会が開催されますが、驚いたことには、我々メンバー以外に十数名のビジターの方が来場されています。おそらくは衣川コミセン関係の方や、新曲『人丸』の奉納を新聞でご覧になった方々ではないでしょうか。急遽、椅子を準備して観客席を急造し、その場を凌いだ次第です。 |
|
8月30日付 神戸新聞 |
||
上図は8月30日付神戸新聞の紙面です。以下に同紙の報道を転載します。 |
||
会場風景 |
昼食の様子 |
|
|
|
本曲と同様、忠度と俊成の関連をテーマとした曲には『忠度』があります。この両者の違いは、『忠度』が完全な夢幻能であるのに、本曲では事件の直接の関係者であるワキやツレが劇の進行に入り込んでいる点であります。そしてワキが名ノリで現れて、そのまま本論に入るという幕開きは、『忠度』のキリに続く事件の展開として位置づけられています。すなわち『忠度』の後日譚として本曲が存在していると言えましょう。 |
|
本曲に関しては、2016年の「淡路・国生みの島紀行」で、大角征矢氏の『能謡ひとくちメモ』の「『草子洗小町』の雑学」を引いて詳述いたしました。重複しますがそのうちの〈ツヨ吟〉に関する点を再録いたします。 |
|
観世流の『岩船』には登場しませんが、隠れた主人公ともいえる「天の探女(さくめ)とはいかなる人物であったのでしょうか。謡曲の詞章を見ていますと、後シテが天の探女でツレが龍神という演出があってもよいのではないかと思うのですが…。 |
《人丸山界隈そぞろ歩き》 |
|
神門の前の広場に日時計が設置されています。すぐ下にある明石市立天文科学館の出口がこの広場につながっているようです。 |
|
本日の案内役は、ボランティアガイドの松浦さん。なかなか愉快な方で、面白おかしく名所旧跡を案内してくださいました。 |
|
神門前の水平日時計 |
芭蕉句碑 |
|
|
|
|
明石市立天文科学館 |
子午線標示柱 |
(上) 日本標準時制定100年記念切手初日カバー (右上)天文科学館と明石海峡大橋を描く明石局風景印 (右下)天文科学館と135度線を描く明石子午線局風景印 |
|
|
柿本神社の西に位置するのが月照寺です。以下は門前の当山の由緒書きです。 |
|
月照寺 |
|
|
|
八ツ房の梅 |
ふれ愛観音と洗心長寿観音 |
|
|
月照寺山門 |
人麻呂歌碑 |
|
|
松平直韶墓所 |
明石城主松平家菩提寺/FONT> |
|
|
柿本神社西の鳥居と亀の水 |
|
名水が湧出る亀の口 |
亀の水に集う/FONT> |
|
人 丸 (前附・本文) |
曲柄 初番目 季節 春(三月) 所 播磨国 明石 |
前シテ 老翁 後シテ 柿本人麻呂 ワキ 僧 間狂言 所の者 |
能の小書 無し 太鼓 有り 作物 塚 |
後見が塚の作り物を大小前に置く |
||
《次第》 |
ワキ |
「霞たなびく春なれや。霞たなびく春なれや。播磨の道を急がん |
《名ノリ》 |
「これは大和の国広安寺の僧にて候。我或夜不思議の夢を見る。金色(こんじき)の観世音菩薩。夢枕に立ちて。敷島の道をはげむなれば。柿本の朝臣(あそみ)。播磨の国にて祀れよと御告げ残して。船にて飛び去りぬ。これありがたき御霊言(ごれいげん)にて。急ぎ播磨の国へと旅たちぬ |
|
《道行》 |
「あおによし。古き都を今朝出でて。まだ月残る三笠山。春の日かかやく大社(おほやしろ)。大き御寺に経手向け。暗き峠を越え行けば。身を尽くしなる難波潟。淀の川波茅渟(ちぬ)の海。行方敏馬(みぬめ)の浦の波。生田の川をうち渡り。藻塩(もしほ)の煙須磨の風。大蔵谷も越え行かば。菅公涙し駅過ぎて。明石の浦に.着きにけり。明石の浦に着きにけり |
|
ワキ 塚に向かい数珠を持ち合掌 |
||
《一セイ》 |
シテ |
「島隠れ。淡路絵島にいる月や。しば鳴く千鳥。音(ね)ぞ遠き |
《サシ》 |
「げに世を渡る慣(な)らひとて。いさなを採りて身をあかす。この憂き業にて世を渡る。身にも情(こころ)の残るやらん |
|
《下歌》 |
「げにや漁(いさ)りの海士小舟。海士の呼び声暇なきに。潮(うしほ)の騒ぎも遠なりし |
|
《上歌》 |
「明石大門(おほと)に入る日にや。明石おほとに入る日にや。入りつるかたも白波の。磯の波音松の声。絶えてとばりも下りにけり |
|
シテ 常座に座る。ワキ 塚より立ちシテに向かい |
||
ワキ |
「いかにこれなる老人。おことはこの浦の海士にて候か |
|
シテ |
「さん候。この浦の海士にて候。わかのうらわの藻塩草 |
|
ワキ |
「藻塩焚くなり夕煙 |
|
ワキ |
「いかに尉殿。はや日の暮れて候へば。一夜の宿を御貸し候へ |
|
シテ |
「うたてやなこの賤が家をお宿の候べきか |
|
ワキ |
「さん候。いかな苫屋も花の宿。日の暮れて候えば。平に一夜と重ねて願い候 |
|
シテ |
「げに傷はしき御ことかな。さらばお宿を貸し申さん |
|
ワキ |
「かたじけなく候 |
|
ワキ座に着座 |
||
シテ |
「春の夜にかぎろへる朧月。しくものはなき苫の宿 |
|
地 |
「明石の浦の磯枕。苔の筵(むしろ)は傷はしや |
|
ワキ |
「いかに申し候。これなる地はかの歌聖。柿本のまうちきみ縁(ゆかり)の地とや。そもそもその謂(いは)れ詳しく語つて聞かせ候べし |
|
シテ |
「さらば語つて聞かせ候べし |
|
《語》 |
「そもそも浄御原(きよみはら)の帝の御時。柿本の朝臣(あそん)。西の方の国に赴きしに。この明石の浦に沈む夕日に故郷を偲び。また任(にん)終え。この浦にまで帰りきたりし時は。昇ゆく朝の霧を愛(め)で。あまたの歌を詠めり。故にこの地を歌聖柿本朝臣のゆかりの地となせり |
|
《クセ》 |
地 |
「明石潟。名にも高き沖つ波。名にも高き沖つ波。千重(ちへ)に隠れぬ。大和島根や。すべらきの。遠つ朝廷(みかど)とあり通ふ。明)石大門をながむれば。心恋しき。大和島みゆ |
シテ |
「ともしびの。明石大門に入る日にや。漕ぎわかれなむ。家のわたりや |
|
地 |
「我妹子(わぎもこ)を。夢に見え来(こ)と大和路の。渡る瀬ごとに。手向けして。雲居に見ゆる妹が家(や)に。はやも至らむ飼飯(けひ)の海 |
|
シテ |
「天離(あまざか)る。鄙(ひな)の長道(ながぢ)を漕ぎ来れば。明石の門より大和島みゆ |
|
《ロンギ》 |
地 |
「天離る。鄙の長道を漕ぎ来れば。明石の門より大和島みゆ。たよりなき。あまの小舟のいかり縄(なは)。思ひこがれて身を沈めぬるつゆも涙もほしあへぬ。夜も明石の浦にこがれぬる。草の枕の我が身か |
シテ |
「ほととぎす。なくやさ月の短夜も。ひとりしぬれば明しかねつも |
|
|
||
アイ |
「そもそも播州明石の地と申すは。宮つ人西国の方に向かふに難波の津より船出して。この地にて船泊まりせし。宮つ人この浦より。遙か大和の国を仰ぎて別れを惜しむ。また任終りて西の国から帰りし時も。この浦にて船泊りしなり。宮つ人。おなじく大和の国を拝み帰心矢のごとくなり。ざれど柿本の朝臣。病篤くして空しくなりぬ。土地のひとこれを憐れみて。土築込めてかの君を祀りぬ |
|
ワキ |
「さらばこそ。あの塚こそ。人麻呂の朝臣の奥津城(おくつき)なれや |
|
ワキ 塚の前に行き座す。数珠を持って祈る |
||
ワキ |
「さらばにや。大和の国を御前にして。空しくなりし朝臣の心。いかばかりなん。我厚く弔はん |
|
ワキ |
「南無去来現在一切(いっさい)。三宝和歌先霊往生(わうじゃう)仏国 〈中入〉 |
|
《待謡》 |
ワキ |
「古き塚に額(ぬか)づきて。古き塚に額づきて。ふくるもしらで明石浦。有明の月と見るよりも。立待(たちまち)にいづる春の月。月に詠じて夜もすがら。敷島のみちを祈るなり。敷島のみちを祈るなり |
地 |
「ああら不思議や。舞歌の声こそあらたなり |
|
【出端】 シテ 塚の中より謡う |
||
《サシ》 |
後シテ |
「明石大門に入る日にや。ほの隠れ行く。大和島見ゆ |
ワキ |
「不思議やな舞歌あらたにして塚鳴動せり。さては人麻呂朝臣の神霊この塚にとどまれり |
|
塚の中よりシテ 巻物を持って現れ、正面を向き |
||
シテ |
「我こそ柿本朝臣。人麻呂の神霊なり。敷島の道願う心に感得(かんとく)して。これまで現れたり。それ和歌の力とは。天地(あめつち)を動かし鬼神(きしん)をも感得せしめん。また人の倫(みち)を明らかにするねりなり |
|
地 |
「それ。これ神威(しんゐ)はかりがたきものなり。ただひとにあらず。まことに知るべし。知るべしや |
|
シテ |
「われ。播磨なる明石の浦の浪の光のあきらけきをながめてうたふ。ほのぼのと。明石がうらのあさぎりに。しまがくれゆく。ふねをしぞおもふ |
|
地 |
「ほのぼのと。あかしがうらの朝霧に。島かくれゆく。船をしぞ思ふ。さてその歌の心には |
|
シテ |
「心大円鏡智(だいえんきゃうち)。修行平等性智(びゃうどうせいち)。菩薩。如観音智(じょくわんのんち)。涅槃成行作智(じゃうがうさくち)。法界体性智(ほっかいたいしゃうち)。人(ひと)生(せい)を受けしその時より。生老死病苦の悩み有り。我が霊前にてこの歌をとなへなば。我が霊力にてこの悩みより解き放たん |
|
地 |
「今この歌の徳用にて。初生娑婆(しゃば)世界。朝立霧(てうりふむ)。四魔滅(しまめつ)。念仏。しほん(柿本)おほやしろ。歌道隆盛。火伏(ひぶせ)り。安産の霊地となるも。 |
|
脇正面を向いて袖を返し留拍子 |
||
この明神の。恩徳と。うけたまはる |
メインホールへ戻る 気まぐれ紀行の先頭 |
(2017.10.21 記録) |