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2014年4月3日、洛北に花を訪ねました。原谷苑に咲き乱れる花々を満喫し、その足で御室の仁和寺に「御室桜」を訪ねたのですが、残念ながら時期尚早、まだ蕾の状態でした。おまけに境内の諸堂のうち、御影堂、阿弥陀堂などが改修工事中で、期待はずれの訪問となってしまいました。 |
《仁和寺》 京都市右京区御室大内33 |
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仁和寺仁王門 |
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仁王像・吽形 |
仁王門(境内より) |
仁王像・阿形 |
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西方天 |
中門 |
東方天 |
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御室桜 |
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中門をくぐりますと、左手一帯が御室桜で埋め尽くされています。ところが残念なことに、御室桜は遅咲きで若干時期が早くまだ蕾の状態でした。以下は「御室桜」説明の碑文です。 |
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五重塔 |
咲き誇る染井吉野 |
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境内左手の観音堂は改修工事中で、すっぽりと覆いに隠れています。右手の五重塔は寛永21年(1644)の建立で、重要文化財に指定されています。東寺の五重塔と同じく上層から下層にかけて各層の幅にあまり差がないのが特徴であるとのこと。初重西側には大日如来の種子「バン」の額が懸けられています。 |
境内の諸堂を眺めてまいりましょう。堂宇の説明は当寺のサイトを参考にしています。 |
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仁和寺金堂 |
御朱印 |
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経蔵 |
鐘楼 |
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水掛不動尊 |
工事中の御影堂 |
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仁和寺の守覚法親王(しゅかくほっしんのう)は、経正を深く寵愛しており、経正が源平合戦で討ち死にしたことを憐れみ、行慶僧都に命じて追善の管弦講を催します。その楽の音に惹かれるように、経正の亡霊が登場するのです。 |
名宣 ワキ「これは仁和寺 |
経正と仁和寺の守覚法親王の関わりについては、『平家物語』や『源平盛衰記』に詳しい。以下『平家物語』「巻第七・經正の都落の事」より。 |
修理 |
仁和寺の裏山には、ミニ四国八十八ヶ所が整備されています。御室八十八ヶ所霊場と呼ばれる巡拝コースで、文政10年(1827)当時は本四国(四国八十八ヶ所)への巡拝が困難であったため、時の仁和寺29世門跡済仁法親王の御本願により四国八十八ヶ所霊場のお砂を持ち帰り、仁和寺の裏山に埋め、その上にお堂を建てたのが御室八十八ヶ所霊場の始まりとのことでした。 |
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山中の七十番札所 |
結願の八十八番札所 |
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すこし日時は遡りますが、3月27日に神戸市兵庫区の郵便局を廻っていた際、偶然「琵琶塚」に遭遇しました。謡曲『経正』の舞台とは異なりますが、青山の琵琶を埋めた所とも、一説には経正の墓所ともいわれているようです。 |
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《琵琶塚》 神戸市兵庫区切戸町1-3 |
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琵琶塚 |
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琵琶塚と清盛像 |
十三重の石塔 |
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福原懐古の句碑 |
八棟寺無縁如来塔 |
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《『経正』と白氏文集》 |
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先般、『和漢朗詠集』と謡曲の関係を調査しましたが、白居易(楽天)の詩句を引用した謡曲の詞章が多く、改めて白居易の影響の大きさに驚いた次第です。この『経正』にも白居易の詩から引用した詞章が4ヶ所(うち、3ヶ所は『和漢朗詠集』からの引用)あり、それ以外に『和漢朗詠集』所収の公乗億の詩句から1ヶ所の引用があります。ちなみに、『白氏文集』からの引用が3首ある曲は、『右近』『采女』『西行桜』『善知鳥』『松虫』の5曲にのぼりました。 |
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風 |
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忽聞水上琵琶聲 |
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轉軸撥絃三兩聲 軸を |
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輕攏慢撚抹復挑 |
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沈吟放撥插絃中 |
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鈿頭雲篦撃節碎 |
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我聞琵琶已歎息 我は琵琶を聞きて |
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我從去年辭帝京 我 去年 |
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感我此言良久立 我が此の言に感じて |
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第一第二の |
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五絃並奏君試聽 五絃 並び奏す 君 |
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座中有一遠方士 座中に |
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遠方士 |
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人情重今多賤古 人情は今を重んじて 多く |
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(平成26年 3月27日、 4月 8日・探訪) (平成26年 5月20日・記述) |