以下は『今昔物語集』巻第四「拘拏羅太子抉眼(くならたいしまなこをくじられ)、依法力得眼語(ほふりきによりてまなこをえたること)第四」です。原文は、今野達校注『新日本古典文学大系・今昔物語集』(岩波書店、1999)を参照しています。

 今昔いまはむかし天竺てんぢく阿育王あいくわうト申ス大王おはしケリ。一人ノ太子有リ。拘拏羅くならト云フ。ぎやうめう端正たんじやうニシテ心性しんしやう正直しやうぢき也。すべよろづの事人に勝レタリ。然レバ、父ノ大王寵愛ちようあいシ給フ事無限かぎりなシ。此ノ太子ハさきの后ノ子ナリ。今ノ后ハ継母ままははニテゾ有リケル。其レニ、此ノ太子ノ有様ヲ后見テ愛欲ノ心ヲおこシテ、更ニほかノ事無シ。此ノ后ノ名ヲバたいしやト云フ。
 后此ノ事ヲ思嘆おもひなげクニ不堪たへズシテ、つひニ人無キひまはかりテ、太子ノましマス所ニひそかよりテ、太子ニ取リ懸リテたちまち懐抱くわいはうセムトス。太子其ノ心無クシテ、驚テ逃去にげさりヌ。后おほきあたヲ成シテ静ナルひまはかりテ、大王ニ申サク、「此ノ太子ハ我レヲ思ヒかけタル也。大王すみやかニ其ノ心ヲ得給ヒテ、太子ヲいましたまふベシ」ト。大王此ノ事ヲ聞テ、「此レ定メテ后ノ讒謀ざんぼうならむ」ト思ふ。大王ひそかニ太子ヲ呼テのたまハク、「なむおなじ宮ニ有ラバ、自然おのづかシキ事有ヌベシ。ひとつノ国ヲ汝ニ与へむ。其ノ所ニ行テぢうシテ、我ガせん可随したがふべしたとヒ宣旨有ト云フトモ、我ガ歯印しいん無クハ不可用もちゐるべからズ」ト云テ、とくしやこくト云フ遠キ所ニ送リ給ヒツ。
 太子其ノ国ニぢうシテ有ル程ニ、継母ままははノ后、此ノ事ヲ思フニ猶きはめ不安やすからズ思テ、構フルやう、大王ニ酒ヲ善ク令呑のましめテ極テ酔テふし給ヘル間ニ、ひそかニ此ノ歯印しいん指取さしとりツ。其後そののち、太子のぢうし給フ得叉尸羅国ヘたばかりテ宣旨ヲくだやう、「すみやかニ太子ノふたつまなこくじリ捨テ、太子ヲ国ノ境ノほか可追却ついきやくすべシ」ト使ヲさしテ下シツ。使、彼ノ国ニ行着ゆきつきテ宣旨ヲ与フ。太子此ノ宣旨ヲ見給フニ、「我ガ二ノまなこくじリ捨テ我レヲ可追おふべシ」ト有リ。あらはニ大王ノ歯印有レバ、可疑うたがふべキニあらズ。歎キ悲ム心深シト云ヘドモ、「我レ父ノ宣旨ヲ不可背そむくべからズ」ト云ヒテ、たちまち栴荼羅せんだらヲ召テ哭々なくなク二ノ眼ヲくじすてツ。其ノ間、じやうノ内ノ人皆此ヲ見テ、悲ビ不哭なかザル者無シ。
 その後、太子宮ヲ出テ道ニまどたまひヌ。妻許めばかりヲ具シテ其レヲ指南しるべニテいどコトモ無クまどあるき給フ。亦、相ヒヘル者一人無シ。父ノ大王、此ノ事ヲ露不知給しりたまはズ。カヽル程ニ太子、父ノ大王ノ宮ニ自然おのづかまどヒ至レリ。いどコトモ不知しらズ、象ノきざやニ立寄タルニ、人有テ、見レバ、女ニテ一人ノめしひタル人有リ。如此かくのごとキ流浪シ給フ程ニ、さまモ疲レ形モ衰ヘ給ヒニケレバ、更ニ宮ノ人、太子ト云フ事ヲ不思懸おもひかけズ、象ノ厩ニ宿やどシヌ。
 夜ニのぞむニ琴ヲ曳ク。大王高楼かうろうましマシテほのかニ此ノ琴ノヲ聞給フニ、我ガ子ノ拘拏羅太子ノひき給ヒシ琴ニ似タリ。然レバ使ヲつかはシテ、「此ノ琴引クハ、いどコノ誰人ノ引クゾ」トとひ給フニ、使象ノきざやニ尋ネいたりテ見レバ、一人ノ盲人まうにん有テ琴ヲ引ク。ヲ具セリ。使、「誰人ノカクハ有ゾ」ト問ヘバ、盲人答ヘテいはク、「我レハ此レ、阿育大王ノ子拘拏羅太子也。徳叉尸羅国ニ有リシ間、父ノ大王ノ宣旨ニよりテ、二ノまなこくじリ捨テ国ノ境ヲ追ヒいだサレタレバ、如此かくのごとまどあるく也」ト云フ。
 使おどろきテ急ギ還リまゐりテ、此ノ由ヲ申ス。大王此レヲ聞給ヒテ肝まどヒ心うせテ、盲人ヲメシテ事ノ有リ様ヲ問給フニ、上件かみのくだりノ事ヲ申ス。大王此レひとへ継母ままははノ后ノ所為しよゐ也ト知テ、たちまちニ后ヲつみセムトルニ、太子ねむごろニ制止シテ其ノつみヲ申シとどメ給フ。
 大王かなしムデ、菩提樹ノ寺ニ一人ノ羅漢らかんましマス、名ヲバ窶沙くしや大羅漢だいらかんト申ス。其ノ人三明さんみやう六通ろくつう明カニシテ、人ヲ利益りやくスル事仏ノ如シ也。大王此ノ羅漢ヲしやうジテ申シ給ハク、「ねがはクハ聖人しやうにん、慈悲ヲ以テ我ガ子ノ拘拏羅太子ノまなこヲ本ノ如クニ令得えしメ給ヘ」ト哭々なくなク申シ給フニ、羅漢ノのたまハク、「我レ妙法めふほふ可説とくべシ。国ノ内ノ人ことごときたリテ聴クベシ。毎人ひとごとひとつうつはものもちテ、人法ヲきかむニ、貴ビテカム涙ヲ其器そのうつはものニ受テ、其レヲ以テまなこあらはもとの如クニ成リナム」ト申シ給ヘバ、大王宣旨せんじヲ下シテ、国ノ人ヲあつム。遠ク近ク、人集ル事雲ノ如シ也。
 其ノ時ニ羅漢らかん、十二因縁ノ法ヲ説ク。此ノ集マリタル人、皆法ヲ聞テたふとび不哭なかズト云フ事無シ。其ノ涙ヲ此ノうつはものニ受ケ集メテこがねノ盤ニ置テ、羅漢誓テいはク、「おほよソ我ガ説ク所ノ法ハ、諸仏ノ至レルことわり也。理不実じつナラズシテ説ク所ニ紕繆ひびう有ラバ、此ノ事ヲ不得ジ。若シ実有ラバ、ねがはクハ此ノもろもろノ涙ヲ以テまうシタルまなこヲ洗ハムニ、あきらかナル事ヲ得テ、見ル事本ノごとくなラム」ト。此ノことおこシテ、をはりテ涙ヲ以テ眼ヲ洗フニ、眼つひ出来いできあきらかナル事ヲ得テ、本ノ如ク也。其ノ時ニ、大王かうべかたぶケテ羅漢ヲ礼拝らいはいシテ喜ビ給フ事無限かぎりなシ。其ノ後、大臣・百官ヲめしテ、或ハ官ヲ退ケ、或ハ過無とがなきゆるシ、或は外国ぐわいこくへ遷シ、或ハ命ヲ断ツ。
 ノ太子ノまなこくじりシ所ハ、徳叉尸羅国ノほか、東南ノ山ノ北也。其ノ所ニハ率堵婆そとばヲ立タリ、高サ十丈余也。其ノ後、国ニ盲人まうにん有レバ、此ノ率堵婆ニ祈請きせいスルニ、皆あきらカニなりテ本ノごとくナル事ヲえたりト云ヘリトナム語リ伝ヘタルトヤ。
 (注)■(たばかり)の原文は、“手偏+迴”



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