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2009年6月20日~22日の3日間の謡友との佐渡の旅を終えて、23日からは北陸の謡蹟を巡るべく、ひとり旅を開始しました。昨日は佐渡から新潟を経て柏崎で一泊、今日は先ず謡曲『柏崎』のシテの足跡をたどって、ここ柏崎から、越後の国府のあった直江津を経て長野善光寺へお参りし、併せて『土車』の謡蹟を訪問。その後、福井県武生まで足を延ばして『花筐』の謡蹟を探訪するという、ちょっと欲張った試みです。 |
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柏崎殿に仕える小太郎が、柏崎殿の病死と子息の花若が行方不明となった知らせを持って、鎌倉から越後国柏崎に帰郷します。 |
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小太郎から夫の死と花若の遁世を聞いた花若の母は、悲嘆にくれながらも我が子の安穏を神仏に祈るが、悲しみのあまり心乱れ、柏崎を狂い出て善光寺にたどり着きます。 |
《香積寺》 新潟県柏崎市西本町3丁目4−3 |
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先ず謡曲『柏崎』前段の舞台である柏崎市の香積寺を尋ねました。墓地を廻りお寺の正面に出ますと立派な山門がありました。後でお聞きしたところによれば平成7年に建立されたものです。曹洞宗の寺ですので門前には「不許葷酒入山門」の碑が厳めしく立っています。「葷酒山門に入るを許さず」と読めば普通でしょうが、皮肉って「許されざる葷酒山門に入る」とも読めるとか。 |
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香積寺山門 |
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秋葉神社の跡と市の説明板 |
地震で倒壊した石碑 |
柏崎勝長公石碑 |
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柏崎から直江津まで信越本線で30分足らず、海と山に挟まれた回廊を列車は進みます。かつて花若の母もこの風景の中を歩いたものでしょうか。 |
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《府中八幡宮》 新潟県上越市西本町3丁目5 |
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府中八幡宮は直江津駅から数百メートル、イトーヨーカドーの北側に鎮座していました。NHKの大河ドラマ「天地人」にあやかろうとしてか、「天地人」の幟が社殿の周りにはためいています。神様がテレビドラマにあやかろうとは、世の中「何れを順と見、逆なりと言はん」といった感があります。 |
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府中八幡宮拝殿 |
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府中八幡宮全景 |
空海筆の扁額 |
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《五智国分寺》 新潟県上越市五智3丁目20-21 |
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五智国分寺仁王門 |
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北門 |
本堂 |
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上杉景勝の朱印状 |
三重塔 |
直江津港を背景に、国分寺 三重塔と親鸞上人像を描く 直江津郵便局風景印 |
朱印 |
史跡春日山城を描き、 直江津港に国分寺三重塔を 配した五智郵便局風景印 |
直江津郵便局と五智郵便局の風景印に、いずれも国分寺三重塔が描かれていました。 |
国分寺北側の裏門より境内に入ると親鸞上人の配所であった竹之内草庵(親鸞堂)があります。以下は草庵に掲げられた「親鸞聖人越後配所草庵縁起」よりの転載です。 |
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竹之内草庵 |
親鸞上人像 |
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芭蕉句碑(葉蘭に…) |
芭蕉句碑(古池や…) |
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《本願寺国府別院》 新潟県上越市国府1丁目7-1 |
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国府の町名 |
配所国府御坊 |
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国府別院 |
親鸞聖人像 |
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国府別院本堂 |
朱印 |
国府別院では近日大きな催しがあるらしく、檀家の方でしょうか手伝いの方々で、あわただしく境内の清掃やら本堂の飾りつけなどが行われておりました。詳しい話も聞けぬまま、御朱印だけ頂戴して別院を後にしました。 |
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直江津の街並 |
山椒大夫の欄干 |
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《善光寺》 長野市元善町491 |
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善光寺の本尊は一光三尊阿弥陀如来というそうで単立の寺院、欽明天皇13年( 552)、仏教伝来の折りに百済から日本へ伝えられた日本最古の仏像といわれています。その後紆余曲折を経て推古天皇の命により、本田善光の手で初め長野県の飯田市に、次いで現在地に遷座しています。「善光寺」の名はこの本田善光の名から付けられたそうです。 |
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善光寺本堂 |
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善光寺本堂と駅頭の如是姫像 をかたどる噴水塔を描いた 善光寺郵便局風景印 |
朱印 |
りんごの中に善光寺本堂と 仁王門を描き桜の枝を配した 長野桜枝郵便局風景印 |
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むじな燈籠 |
謡曲史跡保存会の駒札 |
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親鸞聖人像 |
石像宝篋印塔 |
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山頭火句碑 |
一茶句碑 |
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鳩ぽっぽ歌碑 |
庭園風景 |
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鐘楼 |
濡れ仏 |
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山門 |
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旧如来堂跡地蔵尊 |
良寛詩碑 |
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仁王門 |
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(平成21年6月23、24日・探訪) (平成21年8月10日・記録) (平成31年3月10日・加筆) |