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八雲立つ出雲…。なにかしら呪文のような神秘的な響きがあります。 |
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阿国の墓への登り口 |
出雲阿国公園記念碑 |
出雲阿国は、安土桃山時代に歌舞伎踊りの一座を率いて、京都の四条河原や北野天満宮の社頭で興行を繰り広げた歌舞伎の始祖といわれていますが、その生涯は謎に包まれています。「やや子跳」から始まり、念仏踊りに歌を交えたかぶき躍りを考案して、やがて「天下一」との評判をとるようになったようです。以下は後ほど訪れた街中に立つ「阿国像」の説明書きです。 |
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出雲阿国の墓 |
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出雲大社境内案内図 (出雲観光協会「まちあるきマップ」より)
①千家尊福公銅像 ②下り参道 ③祓社 ④浄の池 ⑤祓橋 ⑥松の参道 ⑦ムスビの神像 ⑧御慈愛の神像 ⑨皇后陛下歌碑 ⑩手水舎 ⑪銅の鳥居 ⑫拝殿 ⑬御本殿 ⑭楼門 ⑮八足門 ⑯十九社 ⑰素鵞社 ⑱神楽殿 ⑲四脚門 |
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《出雲大社》 島根県出雲市大社町杵築東195 |
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9時前に宿を出発、大社参拝に出かけました。正面の鳥居の前には参拝客の姿がパラパラと見受けられます。鳥居をくぐり第一歩を踏み出しました。 |
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まだ人影もまばらな大社正面の二の鳥居 |
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この鳥居は二の鳥居で、勢溜の大鳥居と呼ぶそうです。勢溜の正面鳥居の回りは昔、大きな芝居小屋などが建ち非常に賑わっていたようで、人の勢いが溜まるところから勢溜という名が付いたとされています。 |
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千家尊福卿の像 |
下り参道 |
下り参道の中ほどの右手に「祓社(はらえのやしろ)」の小祠があり、皆さんここでお参りをしてから参道に戻っています。祀られているのは、瀬織津比賣神、速秋津比賣神、気吹戸主神、速佐須良比賣神で、この4柱の神を総して「祓戸の神」と称します。我々が知らぬうちに犯した心身の罪汚を祓い清めて、清々しい神の御心を戴けるようにしてくださる神々であるとのことです。 |
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祓社 |
浄の池 |
松の参道の手前には小川が流れており、ここに架かる橋が「祓橋(はらえのはし)」です。この小川は、出雲大社後背の八雲山から流れてくる「素鵞川」です。八雲山は古来から禁足の地とされているようです。 |
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祓橋 |
三の鳥居と松の参道 |
松の参道が終るところには記念撮影用のベンチが備え付けられています。その左手には社務所があり、その前にイナバの白ウサギとダイコク樣の像がありました。これは「御慈愛の御神像」と呼ばれているようです。 |
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だいこく様と白兎 |
皇后陛下歌碑 |
参道の反対側には「ムスビの御神像」があります。以下はその説明書きです。 |
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ムスビの御神像 |
四の鳥居(銅の鳥居) |
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神馬・神牛 |
ずらりと掛けられた絵馬 |
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出雲大社拝殿 |
御朱印 |
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謡曲「大社」梗概 |
出雲では10月に八百万の神々が参集し神有月と呼ばれますが、謡曲ではその諸神影向の有様を拝もうと都から臣下が参向します。私もその臣下に倣って大社の本殿へとやって参りました。以下は謡曲『大社』の開始である、ワキの登場です。 |
次第 ワキ・ワキツレ「誓ひ |
謡曲では、宮人が現れワキに大社の来歴を語りますが、宮人に代って『神社紀行』(学習研究社)などにより、出雲大社の来歴を眺めてみましょう。 |
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祭神は大国主大神です。大国主命は素戔鳴尊の6世の孫とされ、素戔鳴尊の娘である須世理比売を妻として、素戔鳴の後に葦原中国を経営するものの、高天原から国譲りを要請され、「富足る天の御巣の如き」大きな宮殿を建てることを条件に、国譲りに応じたとされています。その宮殿がここ出雲大社とのことです。大国主命が天孫系に国を譲ったということは、見方をかえれば天孫系に破れたと言えるのではないでしょうか。それにもかかわらず、10月になると各地の神々(当然勝者側の神が多いと思います)がこの地に集積するのは何故なのでしょう。不思議に思われてなりません。 |
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社務所にて御朱印を頂戴し、拝殿の周りを廻って拝殿の後方に鎮座する本殿に参ります。八足門(やつあしもん)の前に来ると、いつの間にか参拝者が増えて、かなりの人出になっております。 |
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八足門 |
東十九社 |
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本殿棟上の千木 |
本殿復元模型(吉兆館展示) |
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後ろ正面から見た本殿 |
素鵞社 |
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彰古館を見学し、本殿を一周して八足門に戻ってきますと、わずか30分程度の間に凄まじい人混みになっていました。松江市や近くの温泉地などから観光バスが到着したのでしょう。 |
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再び本殿前 |
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神楽殿 |
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クリ 地「そもそも出雲の國 |
まず、当社は三十八社を勧請しているということ。『出雲国風土記』には、三十九社の阿受伎神社が記されているようですが、このことを指すのでしょうか |
わずか1時間足らずの間に、拝殿、神楽殿の周囲は喧噪の坩堝と化しておりました。これはたまらぬと、大社を後にして町中の見物にとでかけた次第です。 |
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勢溜前の茶店でコーヒータイムとし、ひと息入れましたが、この辺りも結構な人出です。さらに神門通りは車がせめぎ合っている状態です。この通りはきれいに石畳みが敷き詰められています。以前訪れた時(平成9年)は舗装されていなかったと思うのですが、ここ数年の間に整備されたのでしょう。以前に立ち寄れなかった大社荒木郵便局で貯金の預け入れと風景印の押印を行い、町並の見物に出かけました。 |
出雲大社本殿と出雲 阿国の像を描いた 大社局風景印 |
出雲大社本殿と小槌を 描き、鷺浦つる島を配す 大社荒木局風景印 |
神門通を南下します。宇迦橋の手前に石の大鳥居が辺りを睥睨するように立っています。橋を渡ったところに、一の鳥居の中に二の鳥居が見える撮影ポイントがありましたが、車が一杯で、あまりよいアングルにはなりませんでした。 |
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一の鳥居 |
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国引きりレリーフ |
出雲阿国像 |
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旧JR大社駅 |
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D51機関車 |
駅舎 |
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(平成25年10月17日・探訪) (平成26年 1月29日・記述) |