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2014年3月27日、神戸の生田神社に参拝いたしました。 |
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《生田神社》 神戸市中央区下山手通一丁目2-1 |
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当社の由緒書きには、以下のように述べられています。 |
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生田神社境内図 |
祭神は、稚日女尊(わかひるめのみこと)。「稚(わか)く瑞々しい日の女神」を意味し、天照大神の幼名とも妹とも言われています。日本書紀に「稚日女尊が、清浄なる機殿で神服を織っていた所、素盞鳴尊(すさのをのみこと)がこれを見て、逆剥(さかはぎ)の斑駒(ぶちごま)を殿内に投げ込んだため、稚日女尊は大いに驚き給ひ」と見えています。 |
当社は縁結びの神としても有名なようです。 |
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二の鳥居 |
三の鳥居 |
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大海神社 |
松尾神社 |
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楼門 |
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生田神社拝殿 |
御朱印 |
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箙の梅 |
「箙の梅」の旧跡に立てられた謡曲史跡保存会の駒札“謡曲「箙」と梶原景季”により、『箙』ついて眺めてみます。 |
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本曲は『平家物語』と『源平盛衰記』に典拠していますが、源太景季が箙に梅を挿したことは『源平盛衰記』に拠っているようです。まず、謡曲の最後の立ち廻りの部分から。 |
ワキ「山も震動 シテ「海も鳴り ワキ「 |
次に『平家物語』(佐藤謙三校註・角川文庫)の「二度驅けの事」を眺めてみます。ただし、ここでは梶原景季の活躍は描かれていますが、“箙の梅”については触れられていません。 |
梶原 |
『平家物語』に次いで『源平盛衰記』(池邊義象校註・博文館)の「佐巻第三十七・景高景時城に入る」から。前述の「梶原の二度驅け」に続く部分です。ここでは源太景季が箙に梅を挿しての活躍が描かれています。謡曲はこれらを題材として作られたものと思われます。 |
詩歌管弦は公家仙洞の |
箙の梅の碑 |
謡曲史跡保存会の駒札と子日庵一草句碑 |
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かぢはらの井 |
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謡曲「生田敦盛」梗概 |
「あつもり萩」の碑と謡曲史跡保存会の駒札 |
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ワキ「不思議やなこれなる草の |
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「あつもり萩」と五十嵐播水句碑 |
五十嵐哲也句碑 |
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本殿の裏手には当社の鎮守の森である「生田の森」のたたずまいが拡がっています。かつては広大な領域であったものと思われますが、現在では神社の一角を形成するに過ぎません。 |
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生田の森 |
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生田の森の碑と戸隠神社 |
梶原の井、箙の梅の碑 |
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折鳥居と礎石 |
生田の森、遊歩道入口 |
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森中の遊歩道 |
縁結びの水占い |
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生田森坐社 |
白鳳歌碑 |
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稲荷社と楠の神木 |
包丁の碑 |
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生田の森、西側の通用門 |
生田の池と弁天社 |
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(平成26年 3月27日・探訪) (平成26年 4月29日・記述) |