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これやこの行くも帰るも別れては |
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なお、この稿をまとめるにあたって、小松和彦「能のなかの異界・逢坂山─『蝉丸』」(『観世』平成17年4月号)を参考にさせていただいております。 |
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ところで、蝉丸とはいかなる人物であったのか。子どもの頃遊んだ「坊主めくり」では、蝉丸は坊主か、一般の男性かで、よく揉めたことを思い出します。帽子を被っているけれども彼は坊さんだと言われ、訳の分からぬまま納得したものです。百人一首の人物画で、帽子を被っているのは蝉丸だけではないでしょうか。 |
(博雅は琵琶の道にとても執心しており、会坂の関の盲人が琵琶の名手であると聞き、琵琶の秘曲である「流泉」「啄木」を聞きたいと関に行くが、蝉丸はその曲を弾かない。その後三年の間、夜毎に出かけて行ったが聞くことができなかった。三年目の八月十五日の夜、二人は互いに語り合い、蝉丸は博雅に「流泉」「啄木」の曲を伝えたのである。) |
上記のように『今昔物語』では、蝉丸は宇多天皇の御子・式部卿敦実(あつざね)親王の雑色であり、隠遁して逢坂の関のほとりに庵を結んで住んだとされています。 |
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ここでは「延喜第四の皇子」とされており、これは謡曲と同様です。方や宇多天皇の御子・式部卿敦実親王の雑色、一方では延喜天皇の第四の皇子と、天と地ほどの違いがあります。 |
上歌 地「花の都を立ち出でて。花の都を立ち出でて。 |
逢 坂 山 周 辺 地 図 |
長安寺に『関寺小町』の謡蹟を訊ねた後、逢坂山に向って国道161号線を進みます。朝のうちは少し晴間もありましたが、逢坂山を目指す頃にはどんよりと曇り、雨が落ちてきそうな気配です。峠越えだけに少々心配な空模様ではあります。 |
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「関蝉丸神社」の石柱 |
参道を京阪電車の軌道がよぎる |
《関蝉丸神社下社》 大津市逢坂一丁目15-6 |
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関蝉丸神社下社は旧称“関清水大明神蝉丸宮”。当社の由緒について、滋賀県神社庁のサイトでは以下のように述べられています。 |
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関の清水 |
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「関の清水」は逢坂の関の付近にあった清水で、歌枕としても名高く、古来歌に多く詠まれています。以下は『古今和歌集』巻11、恋1(537)の読人不知の歌です。 |
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紀貫之歌碑 |
蝉丸歌碑 |
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神楽殿 |
貴船神社 |
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本殿 |
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回廊の奉納額(その1) |
回廊の奉納額(その2) |
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時雨燈籠 |
星野椿句碑 |
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句碑(作者不明) |
正岡子規句碑 |
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淳句碑 |
小町塚 |
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関蝉丸神社に別れ、国道161号線を進みます。国道1号線と交わる少し手前に安養寺がありました。門前にある碑には「三井寺南別所」とあり、元来は天台寺門派の寺でしたが、現在は西本願寺派に属しているようです。その門前に建つ「逢坂」の碑によれば、 |
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安養寺門前 |
安養寺観音堂 |
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《関蝉丸神社上社》 大津市逢坂一丁目20 |
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関蝉丸神社上社は旧称“関大明神蝉丸宮”。当上社と下社を合せて一社となす、とされています。 |
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国道を隔てて見上げる関蝉丸神社上社 |
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朱の鳥居に「蝉丸」の扁額、正面は神楽殿 |
神楽殿の傍らから本殿を望む |
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本殿 |
本殿より見降ろした境内 |
再び車を止めて歩道に渡ります。しばらく進むと対面に逢坂山弘法大師堂が見えてきました。弘法大師と聞けばお参りをしなくてはと思うものの、頻繁に車が往来する国道に隔てられています。横断歩道もなく残念ながら参拝を諦めて進み、逢坂の関跡に着いたのですが、よく見ると弘法大師堂からは国道の右手にも歩道が出現しています。ということは、蝉丸上社から歩道はないのですが、国道の右側を進むと大師堂に到着し、そのまま歩道を進めむことが出来たようです。 |
逢坂山弘法大師堂 |
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逢坂関跡の碑と常夜燈 |
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逢坂関跡の休憩所 |
車石 |
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大津絵・鬼の寒念仏 |
大津絵・牛車 |
大津絵・長安寺牛塔 |
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逢坂山の歌碑 |
東海道五十三次・大津宿の図 |
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《蝉丸神社(分社)》 大津市大谷町21-1 |
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蝉丸神社(分社) |
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社殿への階段 |
車石 |
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神楽殿 |
本殿 |
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これで蝉丸三社への参拝は終り、あとは走井と小町の百歳堂のある月心寺に向います。月心寺は国道1号線の左手にありますので、京阪大谷駅の先にある陸橋を渡ります。 |
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陸橋より国道1号線を望む |
大津算盤発祥の地 |
陸橋から盛大に国道を走行する写真を撮ろうとカメラを構えたところ、そんな時に限って車があまり走っておらず、意に反した構図になってしまいました。橋を渡って再び国道1号線に合流します。車輪がある古民家の前に「大津算盤の始祖・片岡庄兵衛」とした碑が建てられていました。以下は先ほどの休憩所にあった“大津算盤”の説明です。 |
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月心寺 |
走井の水(下間圭祐氏提供) |
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曲目の梗概で簡単に触れましたが、『蝉丸』が戦時中上演禁止になったことに関して、大角征矢氏の『能謡ひとくちメモ』に詳述されていますので、これを参考にして若干補足いたします。 |
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大成版五番綴本 |
大成版一番本 |
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(平成26年12月25日・探訪) (平成27年 1月20日・記述) |