謡曲の先頭頁へ 謡蹟の先頭頁へ |
2015年9月10日、11日の両日、天橋立に遊び、智恩寺と西国観音霊場の成相寺に参拝しました。この地は『九世戸』と最近復曲上演された『丹後物狂』の謡蹟になっています。 |
|
九世戸の渡し(回旋橋) |
|
|
|
九世戸の渡し(遊覧船上より撮影) |
知恵の輪 |
|
むかし、むかしのこと、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉册尊(いざなみのみこと)という二柱の神さまが日本の島々を造られていた時代の話。 |
|
神様たちは毎日相談しました。やがて伊弉諾尊の申されますには、何といっても今中国の五台山におられる文殊菩薩こそ知恵第一の仏様で、昔から龍神の導師である。あらうみの大神もきっと改心するであろうと。 |
|
そこではじめて五台山より海を越えて文殊菩薩をこの島に請待いたしました。。 |
|
神様方は文殊菩薩の手に持たれる如意に乗って海に降りられました。如意が浮かんだのを天の浮橋といい、着かれた地を宮津といいます。 |
|
文殊菩薩は宮津にしばせく住まわれますのに、龍神たちが皆々集まって、菩薩から戒を授かって御弟子になりました。この所を戒岩寺といいます。文殊菩薩が獅子で上陸された所を獅子崎(しいざき)といいます。 |
|
如意を海に浮かべた天の浮橋に、龍神が一夜で土を置いて島にしました。この島にまた天人が天降って一夜で千代の姫小松を、松明をとぼして植えました。その内に夜が明けてきましたので、植えるのをやめて火を置いて天に帰りました。火を置いた所を火置(日置)といいます。この島が天橋立です。 |
|
天神七代すぎ、地神二代、あわせて九代にできたので土地の名を九世戸と名付けます。 |
|
九代をかけてでき上った天橋立に文殊菩薩をお迎えすることになりました。海には龍神の龍燈、天には天燈が献じられ、人々は海上に松明を照らし、船を出して文殊菩薩をお迎えしました。これが今日まで伝わる7月24日の出船祭りの始まりです。 |
出船祭りは、毎年7月24日に知恩寺で行われる祭りで、「九世戸縁起」を再現したイベントです。海上を照らす数多くの松明の中、海上舞台の上で太鼓に合わせて龍舞・巫女舞が演じられ、クライマックスには打上げ花火もあがります。 |
クリ「それ |
智恩寺の山門を入ったところに「謡曲『九世戸』と智恩寺」と題して、謡曲史蹟保存会の駒札が建てられています。 |
|
なお、謡曲『氷室』では、ワキの亀山院に仕える臣下が「我この度丹後の國九世の戸に參り。既に下向道なれば。これより若狭路にかゝり。津田の入江青葉後瀬の山々をも一見し。それより都に帰らばやと存じ候」と語っており、当地の文殊信仰が広く流布していたことを物語っています。 |
||
智恩寺山門 |
||
|
智恩寺本堂(文殊堂) |
御朱印 |
|
|
|
10月24日、智恩寺で復曲上演された『丹後物狂』の記録です。 |
クリ 地「それ親の子を思ふこと。 |
シテの岩井殿が修行のために花松を託したという成相寺(なりあいじ)は、智恩寺の対岸の山上にある古刹です。 |
|
成相寺仁王門 |
成相寺本堂 |
|
謡曲の先頭頁へ 謡蹟の先頭頁へ |
(平成27年 9月10日・探訪) (平成27年11月15日・記述) |