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2015年9月28日、『浮舟』の古跡を訪ねて、宇治の三室戸寺に参拝、併せて『源氏物語』宇治十帖の古跡を巡りました。 |
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「宇治十帖」古跡巡り地図 |
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宇治十帖モニュメント |
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いとはかなげなるものと、明け暮れ見出だすちひさき舟に乗り給ひて、さと渡り給ふほど、遙かならむ岸にしも漕ぎ離れたらむやうに心ぼそくおぼえて、つとつきて抱(いだ)かれたるもいとらうたしとおぼす。有明の月澄みのぼりて、水の面(おもて)もくもりなきに「これなむたち花の小島」と申して、御船しばしさしとゞめたるを見たまへば、大きやかなる岩のさまして、されたる常盤木の影しげれり。匂宮「かれ見たまへ。いとはかなけれど、千年(ちとせ)も経(ふ)べき緑の深さを」とのたまひて、 |
謡曲では、旅の僧の問いに答えて里女(浮舟の亡霊)が、源氏物語にある浮舟のことを、以下のように語ります。 |
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改めて謡曲『浮舟』について。本曲は昭和25年~平成21年の60年間の演能回数が108回と、それほど人気の高い作品ではありません。ただ近年になって増加傾向にあるのですが、平等院などが世界遺産に登録されたことと関連があるのでしょうか。 |
謡曲「浮舟」梗概 |
それでは「宇治十帖古跡」巡りを始めましょう。源氏物語のストーリーにそって、探訪いたします。それぞれの古跡で“この字体”で記しているのは、宇治市文化財愛護協会の駒札の内容です。その前に「宇治十帖古跡」ではありませんが、与謝野晶子の「宇治十帖」の歌碑が、さわらびの道沿いに建てられています。晶子の没後50年と宇治市制40周年にあたる平成4年10月に建てられたもので、晶子の真筆で刻まれています。 |
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与謝野晶子歌碑 |
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《 橋 姫 》 |
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橋姫(はしひめ)の古跡は、宇治橋西詰から縣神社参道を少し進んだところに鎮座する橋姫神社です。大化2年(646)に宇治橋が架けられた際に、瀬織津媛(せおりつひめ)を祀ったのが始まりとされています。 |
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「橋姫」古跡──橋姫神社 |
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通りから見た橋姫神社 |
境内の奥に建つ歌碑 |
宇治南陵局風景印 |
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クリ・サシ・クセは、里女~実は橋姫の亡霊が、捨てられた女の悲しみを述べる場面です。悲しみがやがて嫉妬へと変わっていきます。クセの冒頭で、古今集の「さむしろに衣かたしき今宵もや、我を待つらん宇治の橋姫」の歌を引いていますが、前述しましたが、この歌の「橋姫」は「我を待つ女」を「橋姫」にたとえたものでしょう。 |
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《 椎 本 》 |
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椎本(しいがもと)の古跡は、宇治橋東詰から府道沿いに東屋の古跡を過ぎたところにある彼方(おちかた)神社です。「彼方」の名前の由来は、川の流れ落ちる「落方(おちかた)」だという説があり、宇治十帖の中では「おち」という言葉が度々使われています。特に椎本の巻では「おち」を取り入れた歌が二首詠まれているので、彼方神社が椎本の古跡になった由縁はこの辺りにあるのではないかとも考えられています。 |
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「椎本」古跡──彼方神社 |
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《 総 角 》 |
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総角(あげまき)の古跡は、さわらびの道の、宇治上神社から源氏物語ミュージアムにかけての山手、大吉山風致公園の入り口付近にあります。 |
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「総角」古跡 |
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《 早 蕨 》 |
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早蕨(さわらび)の古跡は、宇治神社と宇治上神社の間の、さわらびの道沿いにあります。江戸時代から明治にかけて、早蕨の古跡はその所在地を転々とし、大吉山の山頂や、宇治川西岸などに置かれていたこともあったようです。 |
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「早蕨」古跡 |
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《 宿 木 》 |
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宿木(やどりぎ)の古跡は、府道大津南郷宇治線が宇治川に沿い始める辺りにあります。江戸時代には、藤原寛子が建立した金色院の跡地で知られる白川にありましたが、その後、槇の尾山の麓に移り、平成6年にそれよりもう少し川下の現在の場所には移転しました。「宿木」とは『源氏物語』では蔦を指し、紅葉するさまが物語中で描かれています。 |
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「宿木」古跡 |
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《 東 屋 》 |
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東屋(あづまや)の古跡は、京阪宇治駅東南の「東屋観音」と呼ばれる石仏で、鎌倉時代の作とされています。花崗岩に厚肉彫りされていて、風化がかなり進んではいますが、表情は穏やかで左手に蓮の花を持ち右手は印を結んでいるのがわかります。頭が大きくなで肩の藤原様式ですが、鎌倉後期の作と伝えられていて、宇治市の重要文化財にも指定されています。 |
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「東屋」古跡──東屋観音 |
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《 浮 舟 》 |
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浮舟(うきふね)の古跡は、三室戸寺境内の鐘楼横にあります。もともと浮舟之古蹟碑は、「浮舟の杜」とよばれていた「莵道稚郎子の墓」辺りにあったのですが、明治の中頃以降、移転を繰り返した後、現在の場所に移されました。 |
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「浮舟」古跡 |
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三室戸寺は西国三十三観音霊場の第10番札所です。本山修験宗の別格本山です。 約1200年前(宝亀元年)、光仁天皇の勅願により、三室戸寺の奥、岩淵より出現された千手観音菩薩を御本尊として創建されました。開創以来、天皇・貴族の崇拝を集め、堂塔伽藍が整い、霊像の霊験を求める庶民の参詣で賑わうこととなりました。宝蔵庫には平安の昔を偲ぶ五体の重要文化財の仏像が安置されております。 |
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三室戸寺山門 |
本堂につづく石段 |
現在の本堂は、文化11年(1814)に再建された重層入母屋造の重厚な建物で、本尊の千手観音立像が安置されているが、厳重な秘仏で写真も公表されていないようです。 |
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三室戸寺本堂 |
「西国霊場」御朱印 |
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「浮舟」古跡 |
「宇治十帖」御朱印 |
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阿弥陀堂 |
三重塔 |
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《 蜻 蛉 》 |
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蜻蛉(かげろう)の古跡は、源氏物語ミュージアム北側住宅地の北東に伸びる道を進み、京都翔英高校の手前の道を右折したところにある「かげろう石」がそれです。かげろう石は高さ2メートルほどの自然石で、それぞれの面には阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩と阿弥陀如来を拝む十二単を着た女性が彫られていて、平安後期の作と伝えられています。 |
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「蜻蛉」古跡──かげろう石 |
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《 手 習 》 |
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手習(てならい)の古跡は、宇治橋東語から府道京都宇治線を三室戸の方向に500メートルほど進んだ交差点にある「手習の杜」と彫られた石碑です。 |
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「手習」古跡──手習の社 |
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《 夢 浮 橋 》 |
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夢浮橋(ゆめのうきはし)の古跡は、宇治橋西詰の宇治川旅館の横手にあります。昭和63年に現在の場所に石碑が建てられました。夢浮橋の古跡が宇治橋の袂にあるのは、「橋」に始まり「橋」に終わる宇治十帖最後の巻の古跡であるがゆえのことかも知れません。 |
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「夢浮橋」古跡 |
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夢浮橋の古跡のある宇治橋西詰は“夢浮橋ひろば”とも呼ばれているようです。平成15年12月に紫式部の像が建立されました。宇治川を背景にたたずむ式部の姿は、「橋姫」ではじまり「夢浮橋」で終わる「宇治十帖」を象徴するかのようでもあります。 |
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夢浮橋ひろばに立つ紫式部像 |
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(平成27年 9月27日・探訪) (平成27年11月20日・記述) |