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2015年12月9日、午前中に西大寺と奈良市内の西照寺に『百萬』の謡蹟を訪ねました。西照寺から三条通を西に進むと猿沢池に到達します。池の西北端に「采女神社」が鎮座していますが、神社とは名ばかりの小さな祠でありました。社の三条通側に神社の由来が板書されているのですが、かなり薄汚れたもので、侘びしさを否めませんでした。 |
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采女神社 |
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猿沢の池 |
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春日大社の縁起については、春日大社の項で考察いたします。謡曲で語られる入水した采女の物語は『大和物語』に、陸奥国の葛城王の物語は『万葉集』に、それぞれ資材を求めたものとされています。まず『大和物語』にある「入水した采女の物語」について、謡曲とは若干異なる部分もあるようですので、調べてみたいと思います。第百五十「猿沢の池」の段です。 |
むかし、ならの帝に仕うまつるうねべありけり。顔かたちいみじう清らにて、人々よばひ、殿上人などもよばひけれど、あはざりけり。そのあはぬ心は、帝をかぎりなくめでたきものになむ思ひたてまつりける。帝召してけり。さてのち、またも召さざりければ、かぎりなく心憂しと、思ひけり。夜昼心にかかりておぼえたまひつつ、恋しう、わびしうおぼえたまひけり。帝は召ししかど、ことともおぼさず。さすがに、つねには見えたてまつる。なほ世に経まじき心地しければ、夜、みそかにいでて、猿沢の池に身を投げてけり。かく投げつとも、帝はえしろしめさざりけるを、ことのついでありて、人の奏しければ、聞しめしてけり。いといたうあはれがりたまひて、池のほとりにおほみゆきしたまひて、人々に歌よませたまふ。かきのもとの人麻呂、 |
上記の『大和物語』では「わぎもこがねくたれ髪を猿沢の池の玉藻と見るぞかなしき」の歌は柿本人麻呂の哀悼の歌ですが、謡曲では、シテの采女の霊の詞章に |
サシ シテ「然れば君に仕へ |
采女は天皇の食事に奉仕した後宮の女官で、地方の豪族の子女で容姿の美しい者が選ばれました。奉仕の期限が終った采女たちは、故郷に帰った者も多くいたと想像されます。 |
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采女まつり |
悲恋の采女と衣掛柳の伝説 |
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猿沢池に浮かぶ花扇と官女を 乗せた龍頭船と国宝五重塔を 描く奈良下御門局風景印 |
安達太良山の遠景にうねめ 祭りのうねめと花かつみを 描く郡山局風景印 |
猿沢池から興福寺五重 塔を望み鹿を配した 奈良中央局風景印 |
池の東端には、采女の衣掛け柳と采女地蔵、および九重塔があります。 |
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衣掛柳と九重塔 |
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衣掛柳と「きぬかけ柳」の碑 |
九重塔と采女地蔵 |
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会津八一歌碑 |
猿沢の池から興福寺五重塔を望む |
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(平成27年12月 9日・探訪) (平成28年 1月21日・記述) |