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2016年3月3日、『淡路』の謡蹟である淡路国二ノ宮大和大国魂神社を訪れました。 |
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大和国魂神社、おのころ島神社周辺地図 |
《大和大国魂神社》 兵庫県南あわじ市榎列上幡多857 |
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大和大国魂神社大鳥居 |
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社殿 |
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拝殿 |
芭蕉句碑 |
それでは謡曲『淡路』について眺めてみましょう。 |
謡曲「淡路」梗概 |
朝臣が参拝した社が一ノ宮ではなく二ノ宮であるとと聞かされ、一ノ宮の所在を尋ねます。その答えに「当社は二ノ宮ではあるが、伊弉諾・伊弉册二神を祀っている。神は一きうである」と聞かされます。ここでいう“一きう”について大成版の[辞解]では「一きうは一宮かといひ又一體の誤寫に因るかとも言はれてゐるが、一級と考へて良いであらう」と述べられています。ただこの場合の“一きう”は、[曲趣]にあるように“一翕”であると考えるべきではないでしょうか。 |
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『淡路』の舞台は、淡路国二ノ宮すなわち大和大国魂神社とされていますが、前シテの詞章において「これは即ち伊弉諾伊弉册の尊の二柱の。神代のまゝに宮居し給ふ…」と述べています。そして後シテは伊弉諾尊なのです。ところが二ノ宮・大和国魂神社の祭神は大和大国魂命です。このような誤りが起こった理由について『中世諸国一宮制の基礎的研究』(岩田書院、2000)によれば「淡路が伊弉諾尊と伊弉冉尊による国生み伝承の地であるため、中世において二宮の祭神は伊弉諾尊と伊弉冉尊になっていた。再び祭神が大和大国魂神に戻ったのは明治の神仏分離以後」だと述べられています。本来の祭神からすれば、舞台は伊弉諾命・伊弉冉命を祀る一ノ宮かおのころ島神社とするのが妥当であると思われます。 |
曲名 | 該当箇所 | 詞章 |
淡路 | クセ・アゲハ後 | 八十三万 |
六千八百余歳 | ||
須磨源氏 | クリ・サシ後の上歌 | 乙女の巻に |
太政大臣 | ||
白楽天 | ロンギ | 舞人はこの尉が |
キリ地 | 第三の姫宮 | |
花筐 | クセ・一のアゲハ後 | 上界の嬖妾 |
生まるゝとは | ||
弓八幡 | クセ・アゲハ後 | をかたまの木の枝に |
後場ロンギ | この君の神徳(シテ謡) |
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上記は『淡路』のクリ・サシクセの詞章で、国土創成の神話が語られています。一番本の[資材]によれば「国土創成の神話は記紀にも見えてゐるが、本曲は寧ろ神皇正統記などに基いたものであらう」と述べられています。『神皇正統記』は若干長文になりますので、本稿の末尾に掲載ました。 |
謡曲に登場する他の神社について考察いたしましょう。 |
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《伊弉諾神宮》 兵庫県淡路市多賀740 |
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伊弉諾神宮大鳥居 |
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拝殿 |
御朱印 |
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ひのわかみやと陽の道しるべ |
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続いて、天の浮橋について。 |
タマネギの輪郭に淡路人形 浄瑠璃の頭と天の浮橋の石 碑を描く榎列郵便局風景印 |
天の浮橋全景 |
磐座か? |
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天の浮橋の碑 |
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この『逆矛』の瀧祭の神のことは『神皇正統記』を参照しています。 |
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(平成28年 3月 3日・探訪) (平成28年 8月10日・記述) |