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年の暮れも押し迫った2017年12月12日、阿倍野にある松虫塚を訪れました。 |
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松虫塚周辺地図 |
JR天王寺駅から阪堺電車の軌道に沿ってあべの筋を南下します。Wikipedia によれば“阿倍野”の由来は、古代にこの地を領有していた豪族「阿倍氏」の姓からとする説、『万葉集』の山部赤人の歌からとする説、古地名の「東生郡餘戸郷(ひがしなりぐんあまべごう)」の「餘戸(あまべ)」からとする説などがありますが、豪族「阿倍氏」説が今のところ有力であるとのことです。 |
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阪堺電車“松虫”駅 西側からの眺め |
東方から塚を望む |
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阪堺電車は松虫駅の手前から、あべの筋の路面を離れて専用の軌道に入ります。歩くこと10分ほどで“松虫”の交差点を右折し、阪堺電車の線路を超えると、通常の街路樹にしては並はずれた大きさなのですが、先端が切り取られたような榎の木が立っています。その根元に、歩道の大半を塞ぐような形で玉垣が廻らされ、その中にお目当ての「松虫塚」が建てられています。 |
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3基の松虫塚 |
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中央は『古今集』の歌碑 |
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由緒書 |
新しい由緒の碑 |
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『古今集』の序にある「松虫の音に友をしのび」については『三流抄』(『古今和歌集序聞書』、鎌倉時代に作られた古今和歌集・仮名序の注釈書)に以下のように述べられています。(伊藤正義『新潮日本古典文学集成』1988)
松虫ノ音ニ友ヲ忍ブトハ、昔、大和国ニ有ケルモノ、二人互ニ契リ深シ。津ノ国阿倍野ノ市ヘ連テ行。市ニテ別レテ、アキナヒスル程ニ、互ニ行方ヲ知ラズ。一人先立テ帰ケルガ、彼ヲ待テ居タリケル程ニ、夜ニ入テカレハ死ケリ。彼市ニ残ル友、彼ヲ待ケレドモ、見エザリケレバ、広キ野ニ出テ尋行ス。彼死シタル者ノ家ハ貧シクシテ、草深シ。松虫多ク啼ケレバ、松虫ヲヽク啼処ヲ見レバ、彼者死テアリ。倶ニ一処ニテ死ナント契リタリシカバ、身ヲ抛テ死ス。夫ヨリシテ、友ヲ忍ビ、友ヲ戀スル事ニハ、松虫ノ音ニヨソヘテ云ナリ。 |
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まず「機織」は今のキリギリスであると考えられています。機を織るような声で鳴くところから、こう呼ばれるようになったようです。また「蟋蟀」は今のコオロギのこと。キリギリス(機織)の鳴く声は、機を織るような「きりはたりちょう」という音色で「つづりさせ」と鳴くのはコオロギ(蟋蟀)である、の意でしょう。詞章の「きりはたりちよう」は、機織りの音の擬声語で、続く「つづり刺せてふ」も、蟋蟀の声の擬声語です。 |
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さて「松虫」ですが、古くは今の鈴虫のことを指し、今の松虫は「鈴虫」といい、その名が現在とは逆になっていたといわれていますが、根拠となる確かな資料は見当たらないようです。「松虫」は「待つ」と掛けられ、和歌に詠まれています。 |
さて本曲には『和漢朗詠集』など、多くの詩歌が参照されています。以下にそれらを拾ってみましょう。 |
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ワキ「傳へ聞く |
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晋の |
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シテ「 |
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花の |
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〈ロンギの中〉 地「げにげに思ひ |
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あきののに人松虫のこゑすなり 我かとゆきていざとぶらはん |
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サシ 後シテ「あらありがたの |
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〈クリの前〉上歌 地「 |
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クリ 地「わすれて年を |
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クセ 地「 |
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石に |
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ワカ シテ「面白や。 |
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秋風にほころびぬらし ふじばかま つゞりさせてふきりぎりすなく |
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最後に『松虫』にちなんだ川柳を少々。必ずしも謡曲関連とはいえぬかも知れませんが…。 |
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(平成29年12月12日・探訪) (平成30年 1月 4日・記述) |