謡曲の先頭頁へ 謡蹟の先頭頁へ |
2018年5月16日、奈良県の長谷寺に参拝、『玉鬘』の謡蹟を訪れました。 |
|
長谷寺門前 |
|
|
|
長谷寺境内案内図 |
|
|
|
仁王門 |
登廊 |
500円也の参拝料を支払い入山します。現在の仁王門は明治22年(1889)に再建されたもので、楼上には釈迦三尊、十六羅漢像を安置、扁額の「長谷寺」の額字は後陽成天皇の御宸筆。 |
登廊を登りきったところに国宝に指定されている本堂があります。小初瀬山中腹の断崖絶壁に懸造りされた南面の大殿堂で、写真でみると清水寺の舞台と似通った造りとなっています。 |
|
開山堂側から見た本堂 |
ご朱印 |
|
|
藤原俊成碑・藤原定家塚(中央の五輪塔が定家塚、右が俊成碑) |
|
|
二もとの杉 |
杉の根元がくっついているのか |
謡曲史蹟保存会の駒札 |
|
|
前より行く水をば、 |
この「二もとの杉」の歌は、『古今和歌集』の巻第十九の「旋頭歌」を踏まえたものです。 |
|
それでは謡曲『玉鬘』について、考察してみたいと思います。 |
|
『玉鬘』は、前半は三番目鬘物でありながら、後半は狂乱物といった特殊な演出となっています。ところで謡曲『玉鬘』の概要をまとめてみて、実は大いに困惑しています。それは後場において、シテの玉鬘が何故狂気の体をなさねばならぬのか。その理由が判然としないからなのです。 |
|
〈一声〉の囃子で登場したシテの玉鬘の内侍は、十寸髪(ますかみ)の面を付け、髪の毛を一握り分けて左肩に垂らして(付け髪)、狂乱の体を表わしています。そして「戀ひわたる」云々と乱れ心のわが身を恥じ、狂乱の心を表わす〈カケリ〉を舞います。前場では本三番目を思わせるように、水棹を持った清楚な出立ちで登場するシテが、後場でこのように狂うのはなぜなのでしょうか。 |
|
『新潮日本古典集成・謡曲集』の巻末「各曲解題」で、『玉鬘』にみえる禅竹作の特徴の一として、以下の例のような重韻・連韻をあげています。 |
謡曲の先頭頁へ 謡蹟の先頭頁へ |
(平成30年 5月16日・探訪) (平成30年 6月14日・記述) |