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源の頼光は、大江山の鬼を退治し、その名は天下にとどろきました。太平の世が続くある春の夜、頼光は、渡辺の綱や平井保昌などの家臣を集めて、長雨のつれづれを慰めようと、酒宴を催しておりました。 |
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酒宴もたけなわ、頼光の「近頃珍しいことはないか」との仰せに、平井の保昌が羅生門に鬼が棲んでいるとの噂を語ります。綱はこれを聞き咎め、「土も木も我が大君の国なれば」、そのようなことのある筈がないと反論。保昌と綱の口論となり、ついに綱は噂の真偽を確かめるため羅生門に行く決意を披露し、行ったという証拠に門に立ててくる物を頼光に請い、頼光はお札を綱に与えます。綱は“標(しるし)”を賜り、颯爽と羅生門へと出で立ちました。 |
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さて綱は、兜に身を固め、夜更けの雨が降りしきる中を、馬を駆って羅生門へとやってまいりました。やってきた証拠に、頼光より賜った標の札を門の壇上に置いて帰ろうとすると、何者かが兜をつかんで引き止めました。 |
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後ろから綱を襲ったのは羅生門に棲む鬼でした。太刀を抜き持った綱は、鉄杖を振りかざして挑みかかる鬼と渡り合い、ついに鬼の片腕を斬り落とします。鬼は「時節を待ちて、また取るべし」と言い残して虚空に消えてゆきました。かくて綱は勇名を天下にとどろかせたのでした。 |
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謡曲『羅生門』の展開を謡曲の詞章を通して眺めてみました。 |
そのころ、 |
この物語は「一条戻り橋での鬼退治」としてよく知られた伝承で、私も小さいころ寝物語に母から聞いた記憶があります。頼光の四天王の筆頭である渡辺の綱が、一条戻り橋で美女に化けた鬼の片腕を斬り落としたというお話ですが、『平家物語・剣巻』にはその後日譚が語られています。すなわち…、 |
今は昔、摂津の国の |
羅城門の荒廃したありさまは『今昔物語集』に描かれているとおりですが、謡曲にあるように、羅城門に鬼が出没するという噂話も、あながち根拠のないものではなかったと思われます。 |
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以上、謡曲の『羅生門』と、その典拠である『平家物語』、さらに『今昔物語』と『十訓抄』に描かれた荒廃した羅生門の様子を眺めてみました。 |
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「羅城門跡」周辺地図 |
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矢取地蔵尊の祠 |
唐橋羅城門公園 |
地蔵堂の前には矢取地蔵尊の由緒を記した駒札が建てられています。羅城門とは直接関係はありませんが、内容がちょっと面白いので、以下にご紹介します。 |
「羅城門遺址」の石柱 |
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東寺五重塔 |
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かなり後回しになってしまいましたが、謡曲『羅生門』について考察いたします。 |
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最後に本曲に関連した川柳を数句拾ってみました。 |
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(令和元年 6月19日・探訪) (令和元年 7月18日・記述) |