2020年11月5日および17日の両日、奈良県葛城市の當麻寺と石光寺に中将姫伝説の地を訪れました。 |
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當麻蹶速の塚 |
當麻蹶速の像 |
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當麻寺周辺地図 |
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《當麻寺》 奈良県葛城市當麻1263 |
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両側に民家が立ち並ぶ参道の突き当りにそびえ立つような仁王門をくぐると、當麻寺の広大な境内が拡がっています。 |
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仁王門(東大門) |
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當麻寺境内案内図 |
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案内板に葛城市観光協会による当寺の由緒書きがありましたので、以下に転載します。 |
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以下に境内の主な構築物を拾ってみました。 |
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鐘楼 |
金堂 |
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講堂 |
中将姫の像 |
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弘法大師堂 |
北門(黒門) |
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金堂と講堂の奥(西側)に、東を正面にして本堂が建っています。曼荼羅堂とも呼ばれる本堂は、曼荼羅信仰の中心となっている堂宇で、内陣には須弥壇上に高さ約5メートルの厨子(国宝)を置き、本尊の當麻曼荼羅(国宝、天平時代)が安置されています。 |
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本堂(曼荼羅堂) |
ご朱印 |
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《中将姫伝説》 |
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中将姫伝説の前半、いわゆる継子いじめを扱ったものが『雲雀山』ですが、後半の當麻曼荼羅をテーマとした作品が『当麻』です。 |
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上記「梗概」で本曲と『誓願寺』に同名の小書「乏佐之走」があることを述べましたが、もう一つワキに関して共通点があります。 |
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戦時中に軍部より横槍が入って、謡曲の〈天皇〉に係わる不適切な詞章の変更を余儀なくされたことは、別項にも述べておりますが、本曲にもそれに該当する部分があります。 |
現行の大成版一番本 |
戦前の大成版五番綴本 |
謡曲の世界から現実に立ち返り、再び境内を散策いたしましょう。 |
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《中之坊》 |
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先ず、當麻寺を代表する塔頭の一つである“中之坊”の拝観です。以下は当寺パンフレットに記された中之坊の略縁起です。 |
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中之坊拝観略図 |
中之坊拝観入口 |
中之坊の山門をくぐって、右手にあるのが本堂で、中将姫が剃髪した授戒堂と伝えられています。桃山時代の再建で、中将姫の守り本尊である十一面観音を刻み本尊としており、「導き観音」と呼ばれています。 |
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本堂・中将姫剃髪堂 |
稲荷社 |
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茶筌塚 |
宇都野研歌碑 |
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東塔 |
香藕園 中将姫誓願桜 |
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香藕園kの紅葉 |
折口信夫歌碑 |
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佐藤佐太郎歌碑 |
阿波野青畝句碑 |
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中之坊を出てその北側にある“西南院”に参拝しました。当院は関西花の寺の第二十一番札所となっており、4月から5月にかけて、シャクナゲやボタンが参詣者の眼を楽しませてくれるようです。 |
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《西南院》 |
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以下は当寺パンフレットに記された西南院の略縁起です。 |
西南院拝観略図 |
西南院山門 |
西南院の山門を入ると、一面の牡丹園が広がっていますが、残念ながらこの時節は、切り込まれて春を待つわびしい姿でありました。 |
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本堂 |
花の寺ご朱印 |
書院西はずれの狭い通路を抜けると、庭園が拡がり水琴窟があります。みはらし台に上ると庭園越しに西塔と東塔が眺められます。さらに上ると小祠があり脳天仏を祀られています。脳天仏は首より上の願いが成就するとのこと。 |
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みはらし台から西塔と東塔を望む |
庭園 脳天仏 |
東西両塔は奥之院からも見渡すことが出来ます。東西2基の塔が創建当時から現存するのは當麻寺だけとのこと。以下は、当寺パンフレットからの抜粋です。 |
国宝・當麻寺の東塔と 西塔に牡丹と二上山に 葛城市マスコットキャ ラクター蓮花ちゃんを 描く長尾郵便局風景印 |
西塔は、三重まで3間で、東塔に比べずんぐりしているが、量感を感じる。相輪は東塔と同様8輪で、華麗な唐草模様の水煙の意匠は優秀であり、古さも薬師寺東塔の水煙に次ぐ古い遺品である。 |
水琴窟 |
水琴窟のあたりから庭園を眺める |
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西南院を出て、最西端にある奥之院に参拝いたしました。 |
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《奥之院》 |
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以下はパンフレットに記された奥之院の略縁起です。 |
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奥之院入口 |
奥之院ご朱印 |
朱塗りの手摺りに導かれて、奥之院に入場します。階段を上りつめた正面には本堂が、その左手には阿弥陀堂が並んで建てられています。 |
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奥之院境内 |
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奥之院からの2塔の眺望 |
楼門 |
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浄土庭園(パンフレットより) |
浄土庭園の風景を満喫し、當麻寺に別れを告げ、もう一カ所の中将姫伝説の地である石光寺に向かいました。 |
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《當麻寺北墓地》 |
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「中将姫の墓塔」は花崗岩で造られた十三重塔で、高さが約3m、初重の四方仏は、軸部に縁をとった中に舟形を造って、そこに厚肉に彫出し、屋根は軒反りが強く、鎌倉時代末期の様式です。 |
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二上山を背にした中将姫の墓塔 |
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當麻寺から北に歩くこと十数分で、中将姫ゆかりの石光寺に到着します。 |
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《石光寺》 奈良県葛城市染野387 |
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石光寺の縁起について、以下 Wikipedia によります。 |
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石光寺山門 |
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「中将姫」の御朱印 |
「花の寺」の御朱印 |
山門をくぐった本堂の正面に、竹で囲われた砂山がありました。「想観の沙」というそうです。 |
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本堂 |
想観の砂 |
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中将姫染の井 |
謡曲では、當麻寺を訪れた僧が、そこに現れた老尼に寺の謂れを訊ねます。以下はその問答ですが、この詞章では當麻寺と石光寺との位置関係がはっきりしません。 |
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上記の詞章には「染寺」や「染殿の井」などが登場しているのですが、當麻寺と石光寺の関連がよく分かりません。辞解では「染殿の井・染寺」について「當麻寺より四町余の所に染寺(石光寺)があり、染殿の井はその門前にある」とされています。ところがワキの旅僧が到着したのは當麻寺で、そこに登場した老尼たちと問答をしています。したがって謡曲の詞章では、染寺は當麻寺内にある一つの塔頭のように描かれています。現在の地理を念頭に考えれは、謡曲に謡われている當麻寺と石光寺の位置関係はおかしいと思われますが、石光寺を取り上げると複雑になるので、謡曲では敢えて「染殿の井」や「染寺」が當麻寺の内にあるように描いたのかもしれません。 |
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石光寺染寺塔跡地の碑 |
釈迢空歌碑 |
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与謝野晶子歌碑 |
与謝野鉄幹歌碑 |
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皆吉爽雨句碑 |
別天楼句碑 |
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(令和 2年11月 5日、11月17日・探訪) (令和 3年 1月17日・記述) |