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2022年10月21日、津市にある阿漕塚を訪れました。阿漕塚は町並みのなかにあり、所在が分かりにくかったのですが、近くの津柳山郵便局で詳しい道順を教えていただき、迷うことなく到着することができました。 |
阿漕塚周辺地図 |
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阿漕塚は住宅街の中にありますが、木々に囲まれたなり広い敷地があり、塚の後方には記念館が設置されています。訪れた際には記念館は閉ざされており、詳しい情報を得ることはできませんでした。 |
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阿漕塚全景 |
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塚の前方には、観光協会と教育委員会の説明書き、および謡曲史跡保存会の駒札が建てられています。以下は観光協会による「阿漕塚の由来」です。 |
この説明によると、伝承の主人公「阿漕平治」は孝子であり、母親の病を癒やすために禁を犯して漁をし、そのために捕らえられ処罰されたことになっています。 |
芭蕉句碑 |
阿漕塚 謡曲史跡保存会の駒札と津市教育委員会理説明書き |
阿漕塚の左手には観光協会の説明にもありました芭蕉の句碑が建てられています。かなり大きく立派なもので、碑面情報には、 |
それでは謡曲『阿漕』について考察いたします。 |
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梗概に述べましたが、本曲は最後まで救いのない曲です。漁師の亡霊は、地獄の苦しみを語り、救いを求める声だけを残して、海底に沈んでいきます。次の旅人が来れば、再び浮かび出でて助けを求めるのでしょうか。 |
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シテ(老漁夫)のこの〈語り〉でも、阿漕が病める母のために密漁をしたとは話しておらず、孝子であった片鱗をも窺うことはできません。前述の教育委員会の説明のように、謡曲の典拠となった伝承には孝子伝説はなく、謡曲が出来上がった後に孝子伝説が付加されていったものと考えられます。 |
蛇足ながら最後に西行に関連して、落語に『西行』という演目があります。この噺には西行と阿漕が登場するのです。 |
阿漕浦の景色を眺めようと海岸に出ましたが、素人写真の悲しさ、よいアングルでの撮影が叶いませんでした。なお、かつての津郵便局(現・津中央郵便局)と津柳山郵便局の風景印に阿漕塚が描かれています。 |
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阿漕浦寸描 |
千鳥に阿漕塚と 津の海岸を描く 旧津郵便局風景印 |
阿漕浦海岸に阿漕塚、 平治の笠とヨットを描く 津柳山郵便局風景印 |
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(令和 4年10月21日・探訪) (令和 5年 1月 7日・記述) |