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自凝島神社と ハモ料理の旅 |
2016.6.28 ≪おのころ島神社とハモ料理≫ |
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謡友のMさんからは、以前から淡路島に渡り、謡会を開催して“ハモ料理”に舌つづみ打ちたいという相談を持ち掛けられていました。幸いなことに淡路島には私たちの同学同好であるNさんが在住されており、彼の案内で謡蹟めぐりやハモ料理を満喫するという計画が実現されかかったことがありましたが、都合が折り合わず実現には至りませんでした。 |
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淡路島訪問地図 |
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さて、6月28日を迎えました。このところ関西はぐずついた天候が続いています。予報では昨日夕刻からの雨は、早朝には一時治まるものの、昼頃からまた降り出すかも知れぬというもので、要は今日一日いつ降ってもおかしくないという空模様のようです。 |
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今回の淡路紀行の参加者は、加古川の高齢者大学である“いなみ野学園のみなさんを中心として、総勢33名という大人数となりました。 |
明石海峡大橋と五色塚 古墳を描く垂水局風景印 |
加古川駅からバスに乗り込む |
明石海峡大橋 |
9時過ぎに西淡三原ICで高速道を降り、朱塗りの大鳥居を目指します。 |
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《おのころ島神社》 |
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“自凝島”と書いて“おのころじま”と訓むそうで、『大辞林』によれば「自(おの)づから凝(こ)り固まってできた島」の意とのことですが難読の社名ですね。“おのころじま”は『古事記』では淤能碁呂島、『日本書紀』では磤馭慮島と表記されています。 |
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古代淡路島の図 |
“おのころ島”は、伊弉諾・伊弉冉二神が我が国の島々を作られたとき、最初に生れた島として重要視されており、それだけにその所在地をめぐっては、当社の地以外にも諸説があるようです。 |
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おのころ島神社の大鳥居 |
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「あわじ花へんろ」の札所 |
おのころ島神社境内 |
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社務所 |
手水舎 |
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おのころ島神社正殿 |
御朱印 |
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御神木 |
八百萬神社 |
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鈴木啓也歌碑 |
服部嵐雪句碑 |
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境内の拝観を終え、いよいよ奉納謡会の開催です。 |
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奉納謡会番組 |
宮司さん入場 |
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祝詞奏上 |
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『淡路』の舞台は淡路国二ノ宮すなわち大和大国魂神社とされており、ワキの朝臣は参拝した社が一ノ宮ではなく二ノ宮であるとと聞かされ、一ノ宮の所在を「譲葉の権現ではないか」と尋ねます。その答えに「当社は二ノ宮ではあるが、伊弉諾・伊弉册二神を祀っている。神は一きうである」と聞かされます。 |
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『草子洗小町』に関しては、大角征矢氏が『能・謡ひとくちメモ』の「『草子洗小町』の雑学」において詳述されていますので、ご参照ください。 |
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奉納謡会風景 |
宮司さん、最後までお聴きになりました |
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神社で頂戴しました |
宮司さんのお見送り |
バスが出発しますと、宮司さんは手を振って見送ってくださいました。 |
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おのころ島神社周辺地図 |
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主祭神は大和大国魂神。八千戈命(やちほこのみこと)、御年命(みとしのみこと)、素盞嗚尊(すさのおのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、土御祖神(つちのみおやのかみ)を配祀しています。境内入口には平成10年再建された鳥居が立ち、広く長い境内の突き当りに、社殿があります。 |
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大和大国魂神社 |
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拝殿 |
芭蕉句碑 |
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タマネギの輪郭に淡路人形 浄瑠璃の頭と天の浮橋の石 碑を描く榎列郵便局風景印 |
天の浮橋全景 |
磐座かな? |
以下は『古事記』における「天の浮橋」の記述です。 |
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天の浮橋の碑 |
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謡曲に「譲葉権現」として紹介されるのが「譲鶴羽神社」です。 |
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おのころ島神社を出発したバスは、志知の交差点を直進して、県道477号線(うずしおライン)を西に進み、阿那賀(あなが)の若潮旅館を目指します。今回は訪問できませんでしたが、志知の交差点を左折して、4キロほど南下しますと、淳仁(じゅんにん)天皇淡路陵が、さらにその数百メートル南方に天皇の母・山背の淡路陵があります。 |
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淳仁天皇淡路陵 |
淳仁天皇御母山背淡路陵 |
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小宰相局を祀る「お局塚」 |
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鳴門市土佐泊の小宰相局の墓 |
神戸市湊川願成寺の小宰相局の墓 (中央の小さい墓が小宰相局の墓) |
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《若潮旅館─ハモ料理》 |
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大鳴門橋と渦潮、沖ノ島を 描く 阿那賀局風景印 |
若潮旅館 |
眺めやる大鳴門橋 |
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ハモ料理一式 |
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食事風景(その1) |
食事風景(その2) |
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《伊弉諾神宮》 |
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伊弉諾(いざなぎ)神宮は淡路国一ノ宮。祭神は伊弉諾尊、伊弉冊尊。以下、当社の由緒書きです。 |
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伊弉諾神宮大鳥居(3月3日撮影) |
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語り部氏登場 |
日本遺産に登録 |
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“さざれ石”にて |
中の鳥居に続く参道 |
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ひのわかみやと陽の道しるべ |
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陽の道しるべ |
放生池 |
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幽宮 |
正門 |
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夫婦大楠 |
大楠の根本 |
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岩楠神社 |
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流された蛭子神が流れ着いたという伝説は日本各地に残っています。『源平盛衰記』では、摂津国に流れ着いて海を領する神となって夷三郎殿として西宮に現れた(西宮大明神)、と記しており、日本沿岸の地域では、漂着物をえびす神として信仰するところが多くあります。ヒルコとえびす(恵比寿・戎)を同一視する説は室町時代からおこった新しい説のようですが、古今集注解や芸能などを通じ広く浸透しており、蛭子と書いて「えびす」と読むことも多くあります。現在、ヒルコ(蛭子神、蛭子命)を祭神とする神社は多く、和田神社(神戸市)、西宮神社(兵庫県西宮市)などで祀られています。 |
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拝殿 |
御朱印 |
順路が最後になってしまいましたが、拝殿にお参りです。ここでも語り部氏の教えに従い、二礼二拍手一礼のお参りをいたしました。 |
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赤い屋根 |
ずらりタマネギ |
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秋もやうやう |
絵島は、その美しさから古くから多くの人々を魅了し、現在でも淡路島の誇る景勝地として知られています。 |
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絵島 |
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裸婦像 |
西行歌碑 |
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絵島内の岩山 |
露出した砂岩層 |
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明石海峡大橋と絵島 を描く岩屋局風景印 |
幹事長のMさんより、来年は竹生島や白鬚神社など琵琶湖廻りの一泊ツアーを企画したい旨の発表があり、また来年が楽しみです。最後に地元での調整役を務めてくださったNさんに感謝しつつ、この小文を閉じることといたします。 |
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(2016.8.14 記録) |