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2014年11月14日、彦根港から遊覧船で竹生島を訪れました。以前よりぜひ参拝したいと思いながら、なかなか訪れる機会に恵まれませんでした。この度、やっと念願がかなった感があります。 |
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竹 生 島 周 辺 地 図 |
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大阪駅8時59分発の新快速電車に乗車、時間が時間だけに車内はかなり混雑しています。10時18分に彦根駅に到着、タクシーで彦根港の近くにある彦根馬場郵便局に立ち寄りました。この局の風景印に竹生島と湖上を走る遊覧船が描かれています。余談ながら、この郵便局の読み方は〈ひこねばんば〉郵便局。「馬場」を「ばんば」と称するケースは結構多くあるようで、身近なところでは大坂城の近く、NHK大阪放送局があったのは馬場町と書いて〈ばんばちょう〉。NHK大阪放送局のコールサインは「JOBK」ですが、これを「ジャパン・オオサカ・バンバ・カドッコ」の略だとは、小林信彦の『唐獅子株式会社』の一節でありました。 |
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彦根港に到着 |
竹生島航路の遊覧船 |
これは竹生島に始めて |
定刻に出航しました。遊覧船は釣り船ならぬ高速艇であり、白波を蹴立てて湖上を滑って行きます。左舷遠方に見えるのは比良の嶺々か。船内に流れるのは「琵琶湖周航の歌」。 |
琵琶湖に浮かぶ多景島を 描き、高速船と馬を配した 彦根馬場郵便局風景印 |
竹生島の小島と琵琶 湖上の遊覧船を描く びわ郵便局風景印 |
奥琵琶湖の風景を 描き、竹生島を配した 西浅井郵便局風景印 |
延喜の臣下が竹生島に詣でたのはうららかな春の日でありましたが、この度はもはや冬の季節。それでも、船室から外に出ると肌寒さを感じますが、船内は適当に暖かく、季節のことなどは忘却の彼方。流れくるメロディを聞くともなく耳にし、窓外に立つ白波を見るともなく眺めながら、ぼんやりとしているうちに、はやくも竹生島の島影が眼前にせまっていました。 |
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眼前に迫る竹生島 |
上歌「所は海の上。所は海の上。國は |
《竹生島》 長浜市早崎町 |
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竹生島入島記念Ticket |
シテ「舟が着いて候 |
船が桟橋に繋留され、いよいよ島に上陸しました。船着場から見上げると、斜面にへばりつくような建物が目に入ります。随分高い所まで石段が組まれて、堂塔が建てられているようです。高所恐怖症の私にとっては、極めて好ましくない状況であります。 |
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船着場からの光景 |
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「琵琶湖周航の歌」の碑 |
琵琶湖八景「新緑竹生島沈影」の碑 |
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白水句碑 |
経正の看板 |
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頃は卯月 |
竹生島参拝案内図 |
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「竹生島神社」の扁額の第一の鳥居 |
「宝厳寺」の扁額の第二の鳥居 |
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竹生島神社への回廊 |
波止場を見降ろす |
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黒龍堂 |
弁才天堂 |
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白巳大神 |
龍神拝所 |
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《都久夫須麻神社(竹生島神社)》 |
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都久夫須麻神社 |
御朱印 |
都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)は別名を竹生島神社とも。祭神は、市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)、宇賀福神(うがふくじん)、浅井比売命(あざいひめのみこと)および龍神を祀る。 |
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弘法大師霊場 明星跡 |
河童の安全祈願 |
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舟廊下 |
観音堂のびんづる坐像 |
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《宝厳寺観音堂》 |
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観音堂の唐門 |
御朱印 |
観音堂を抜けたところに唐門があります。正しくはここが観音堂への入り口となるようです。あいにく今回は工事中とのことで、その全貌に接することはかないませんでした。以下は唐門の説明書きです。 |
唐門を出たところに本堂(弁才天堂)への階段があり、その前方の通路脇には観音像と修行大師の像が建っていました。この前を通って直進すると、本堂へと続くもう一本の階段があります。 |
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修行大師像 |
観世音立像 |
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本堂への石段 |
五重石塔 |
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不動明王像 |
三重塔 |
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《宝厳寺弁才天堂》 |
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弁才天堂 |
御朱印 |
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本堂への階段 |
二の鳥居(扁額は厳金山) |
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地「龍神 |
上記の謡曲の詞章に現れる「かの客人」について、驚いたことには三通りの説があるそうです。これに関して大角征矢氏は『能謡ひとくちメモ』で紹介されているのですが、それを要約しますと、 |
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(平成26年11月14日・探訪) (平成26年11月30日・記述) |