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2016年11月9日、謡曲『鵜飼』の謡蹟を山梨県石和の遠妙寺に訪れ、その夜身延に入り宿泊、明10日、日蓮宗の総本山である久遠寺に参拝いたしました。当山は謡曲『身延』と『現在七面』の謡蹟でもあります。ただし、『身延』は観世流のみ、『現在七面』は金剛流と観世流のみの現行曲で、若干マイナーな感は否めません。 |
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久遠寺周辺地図 |
《身延山久遠寺》 山梨県南巨摩郡身延町身延3567 |
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文永11年(1274)、甲斐国波木井(はきい)郷の地頭南部六郎実長(波木井実長)が、佐渡での流刑を終えて鎌倉に戻った日蓮を招き、西谷の地に草庵を住処としました。このことにより、文永11年5月17日を日蓮聖人身延入山の日、同年6月17日を身延山開闢の日としています。日蓮聖人は、これ以来足かけ9年の永きにわたり法華経の読誦と門弟たちの教導に終始し、弘安4年(1281)に本格的な堂宇を建築し、自ら「身延山妙法華院久遠寺」と命名されました。 |
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祖廟拝殿 |
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祖廟塔(パンフレットより) |
拝殿の「立正」の額 草庵跡(パンフレットより) |
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三門 |
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本堂に続く菩提梯(パンフレットより) |
宮沢賢治歌碑 |
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本堂 |
御朱印 |
本堂は明治8年(1875)の大火で焼失して以来、その再建は身延山久遠寺の悲願でした。日蓮上人七百遠忌の記念事業として、90世日勇の代の昭和60年5月に入仏落慶式が行なわれました。総坪数970坪(3201㎡)、間口32メートル、奥行51メートルで一度に2500人の法要を奉行できます。ご本尊は江里宗平仏師の作、外陣の天井画「墨龍」は加山又造画伯の畢生の力作です。 |
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祖師堂 |
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祖師堂は日蓮上人の尊像を奉安するお堂で、祖師の御魂が棲んでいるという意味で「棲神閣」と称しています。11代将軍徳川家斉が天保7年(1836)に建立し、5年後に廃寺となった鼠山感応寺の堂宇を、明治14年(1881)に74世日鑑の代に移築し、同年宗祖第六百遠忌をここで奉行しました。内陣正面の虹梁にある立正の勅額は、昭和6年宗祖第六百五十遠忌のとき、天皇陛下より日蓮上人の御廟へ下賜せられたものです。 |
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鐘楼と五重塔 |
開基堂 |
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拝殿 |
仏殿 |
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甘露門 |
時鐘 |
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さて、下界での参拝を済ませて、いよいよ山上にある奥之院へと向かいました。奥之院へは数キロメートルのハイキングコースもあるようですが、専用のロープウェイが運行されています。地上駅に近づいて、山上を眺めやれば結構な高さがあります。パンフレットによれば、このロープウェイは「関東一の高低差763m、眺望絶景!、7分間の空中散歩」というここですが、あいにく私は高所恐怖症で、足が地についていない、この手の乗り物は大の苦手です。おまけに朝まだ早く、乗り場には客の姿もありません。登りたいが気が乗らないな、とやあらん、かくやあらんと悩むうちに始発便の出発時間となりました。ちょうどそこへ一人の若者が現われ、幸いなことに同乗することとなりました。ただ、この日は風が強く、平常であれば7分のところを10分かけて運行するとのことで、若干遅れての出発となりました。 |
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奥之院へのロープウェイ |
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山頂より富士山を望む |
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奥之院入口 日蓮上人立像 |
お手植えの杉 |
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奥之院思親閣仁王門 |
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思親閣祖師堂 |
御朱印 |
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七面山遥拝 |
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悲しいことに私は、3度も四国霊場を巡拝したにもかかわらず、信仰心に乏しく、宗教とはあまり縁のないところに暮らしておりました。お経といえば、ときたま仏壇に向かったり、四国遍路の折に唱えた「般若心経」を知っている程度です。したがって未だかつて真摯に「法華経」に接したことはありません。この『身延』の曲に際して、急遽「法華経」や「日蓮宗」について調べてみましたが、残念ながら理解するにはほど遠い状態です。以下、日蓮宗のサイトや関連書籍などからの付け焼き刃的な引用です。 |
クリ 地「げにや |
続いて、身延山における日蓮上人を扱った『現在七面』について。 |
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以下は『法華経』の尊さを説いた〈クリ・サシ・クセ〉の部分です。シテは舞台の正中で下居する〈居グセ〉です。このクセはワキの代弁であって、〈アゲハ〉はワキが謡います。 |
クリ 地「そもそも法華經と云つぱ。釋尊 |
ここで〈クセ〉の〈アゲハ〉について。上述しましたが『現在七面』のクセは〈アゲハ〉をワキが謡います。ワキが〈アゲハ〉を謡う曲は、本曲以外に『藍染川』『皇帝』『谷行』『羅生門』の4曲で(ただし『谷行』はワキツレが謡う)、いづれもワキの重い曲となっています。ちなみにツレが〈アゲハ〉を謡う曲は『蝉丸』など10曲(『小袖曽我』はシテ・ツレの連吟)、それ以外には『安宅』では子方が謡いますが、これは義経ですからツレのようなものですね。また〈アゲハ〉のない〈片クセ〉は『阿漕』『安達原』『海士』『国栖』『橋弁慶(笛之巻)』の5曲となっています。さらにクセのない曲は『嵐山』など60曲で、およそ3割弱の曲にはクセがありません。 |
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(平成28年11月10日・探訪) (平成29年 1月12日・記述) |