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2019年8月5日、太宰府天満宮に参拝しました。当宮は『老松』の謡蹟でありますが、近くの光明禅寺に沿って流れる小川が藍染川であり、当然のことながら、ここは『藍染川』の舞台でもあります。 |
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太宰府周辺地図 |
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一の鳥居 |
二の鳥居 |
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三の鳥居〈平成21年撮影〉 |
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四の鳥居 |
神牛〈平成21年撮影〉 |
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「東風吹かば…」の歌碑 |
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太鼓橋 |
心字池 |
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徳富蘇峰詩碑 |
麒麟像、鷽像 |
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楼門 |
壮大な楼門をくぐると正面に本殿が鎮座しています。 |
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本殿 |
ご朱印 |
本殿に向かって右に著名な「飛梅」があります。「東風吹かば……」の歌に詠まれた京の屋敷の梅が、菅原道真を慕って配所まで一夜にして飛んできたという飛梅伝説はよく知られているものです。飛梅同様に、桜も同じ屋敷内にありましたが、歌に詠まれなかったのを嘆き一夜のうちに枯れてしまいました。このことを聞いた菅公が「梅は飛び桜は枯るる世の中に松ばかりこそつれなかりけれ」と詠むと、屋敷内の松も一夜にして配所に生育、すなわち「老松(生松、追い松)」だといわれています。天満宮本殿の裏に摂社「老松神社」があり、道真のの父是善卿が祀られています。 |
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飛梅 |
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八月十七日に、平家は筑前國 |
続いて『十訓抄』〈永積安明校訂、岩波文庫、1942〉の記述です。 |
菅家、太宰府に赴かせたまひけるとき、 |
ここで“飛梅”に関する川柳を少々拾ってみました。 |
太樟 |
ひろはちしゃの木 |
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以下は、長大でかつガッシリとした〈クセ〉を転載します。前段で、ワキが「当社の謂れを委しく」語ってほしいと依頼しているにもかかわらず、肝心の由緒は語られず、梅と松についての蘊蓄話となっているのは、ちょっとそっぽを向かれたかんがあります。 |
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上記の詞章にある「古寺の旧跡」は、安楽寺西方の観世音寺。『菅家後集』の「不出門」と題する七言絶句の一節に「観音寺只聴鐘声」と詠まれており、この句は『和漢朗詠集』「閑居」に採られています。 |
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徳川幕府になって武家の式楽に取り上げられてから、徳川の本姓が〈松平〉であるので、〈松〉に関して〈まずい表現〉であるような箇所を軒並み家元が〈訂正〉したわけですね。すなわちこれが〈去嫌~かざし〉の元祖であったわけです。足利義満に仕えた室町時代の世阿弥の、思いも及ばなかった事でしょう…。 |
三の鳥居のところから案内処の横の通路を南下しますと、突き当りに光明禅寺があります。寺の門前の白塀に沿って流れる小川が“藍染川”です。謡曲では、シテがこの川に身投げをするくらいですから、さぞ大きな川かと思いきや、今はまさに小川とも言えない溝のような川なのです。けれども、それではちょっと品がないとでもいうように、大きな石柱に堂々と「藍染川」と彫られています。この石柱がなければ、ここが藍染川であることは分からないかもしれません。 |
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立派な“藍染川”の石柱 |
ちょろちょろと流れる藍染川 |
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梅壺侍従蘇生の碑 |
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猿田彦大神の碑 |
佃衣塔 |
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本曲にはアイ、前シテ、ワキの三人がそれぞれ「文」を読む場面があり、「文」がストーリーの展開上、重要な役割を果しています。ワキが「文」を読むのは例の少ない形式です。以下は、ワキが「文」を読み終わり、シテの女の死を悼む〈クセ〉の感動的な詞章です。 |
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〈クセ〉の詞章を転載しました。本曲では〈クセ〉の〈アゲハ〉をワキが謡います。本曲以外に、ワキが〈アゲハ〉を謡う曲としては『現在七面』『皇帝』があり、ワキツレが謡うものには『羅生門』『谷行』があります。これらはいづれもワキおよびワキツレが重要な役割を担っている曲です。 |
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(令和元年 8月 5日・探訪) (令和元年 9月16日・記述) |