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錦瑟 李商隠 錦瑟きんしつ 端無くも 五十絃 一絃 一柱 華年を思う 荘生の暁夢 蝴蝶こちよう迷い 望帝の春心 杜鵑とけんに托す 滄海 月明らかにして珠涙有り 藍田 日暖かにして玉烟を生ず 此の情 追憶を成すを待つ可けんや 只だ是れ 当時 已に惘然ぼうぜん |
錦瑟(徐有武・画) (詩与画 唐詩三百首) |
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錦瑟は、その桐の胴に錦のような絵模様のある大琴。この詩には、いろいろの説があるが、妻のかたみの品なる瑟(おおごと)を見て、華やかな想い出を宿す過去の日を回顧する感傷の歌として解する。李商隠の代表作とされる。 いま、ここに、奏すべき人をうしない、空しく残された錦模様の大琴がある。 昔、伏羲氏は、その音調のあまりの悲しさゆえに、五十絃の瑟を壊したというが、 はからずも、この錦瑟はそれに一致する五十絃のものである。 その数多い一線一線の絃、それを支える一つ一つのことじに、 私の華華しかった日日の記憶がかかっている。 たとえ絃は絶ち得ても、こわせないだろう愛の思いが。 昔、荘子は蝶になった夢を見て、その自由さに、暁の夢が醒めてのち、 自分が夢か、蝶が夢なのかを、疑ったという。 夢のようだった愛の生活(いとなみ)は、醒めざるを得ぬ今も、 独りとり残された我が身の方を却って疑わせる。 また昔、望帝は、肉朽ちて後も、春めくその思いを杜鵑(ほととぎす)に托したという。 愛の執着は、そのように、昼夜を分かたず哀鳴する鳥の声となって残るのだ。 思う、昔。あなたがこの錦模様の瑟を爪弾いた時、 私はその音色を聴きわけるよき鑑賞者だった。 奏するあなたのこころが海の彼方に向かう時、私はすぐさま、月の煌煌と照る滄海を思い、 あなたの思いが山にある時、また直ちに、 その音は玉山に暖かく日の射すようだと指摘したものだった。 だが今は、月夜に思い浮かべる滄海にも、かの人魚の涙珠(るいじゅ)のように、 面影はひたすら涙をのみしたたらせ、 白昼の夢にその姿を追えば、かの紫玉の如く、抱くより先に烟と化して燃えうせる。 だが、思い廻らせば──この失意、朦朧としてあやめも知れぬ私の思いは、 今追憶をなすこの時間において、始めてそうなつたのだろうか。 そうではない。何故なら、いま見定め難きものは、昔においても見定め難く、 あの当時からして、はやすでに私たちの現実が朦朧としていたのだったから。 (高橋和巳「中国詩人選集・李商隠」) 李商隠の詩はとかく難解な文言が多く晦渋を極めているため、以下に上書による語釈を引用する。 ○五十絃……宋の聶崇羲(せつすうぎ)の「三礼図」に、雅瑟は二十三絃、頌瑟は二十五絃とある。昔、伏羲氏が天地を祭る神楽として、宮女の素女(そじょ)に奏させた瑟は二十五絃だった。その音色のあまりの悲しさに、伏羲はその瑟の使用を禁じたが、守られなかったので、破棄して二十五絃に定めたという。ことは、漢の司馬遷「史記」封禅(ほうぜん)書および後漢の班固の「漢書」郊祀(こうし)志に見える。 ○荘生……戦国時代の思想家荘周。「荘子」という書物は彼およびその一派の言説を記録したもの。大小、賢愚、生死などは相対的差異に過ぎぬことを主張し、無為自然であることを最高の道徳とする。老子と共に道家の哲学の祖と仰がれる。 ○迷蝴蝶……「荘子」斉物論篇に見える、生と死、夢と覚醒の分かち難いことを喩えた寓話による。「昔、荘周は夢に蝴蝶となる。栩栩(くく)然として蝴蝶なり。自ら諭すらく、志に適えるかなと。俄然として覚むれば、則ちキョキョ(キョは〈草冠に遽〉)然として周なり。知らず、周の夢に蝴蝶となりしか、蝴蝶の夢に周となるかを」とある。 ○托杜鵑……神話の国蜀の王であった望帝(ぼうてい)は、部下の鼈霊(べつれい)に治水を命じておきながら、その妻と姦通し、自らその不徳を恥じて隠遁した。彼が国を去った旧暦の二月、杜鵑が哀鳴したゆえ、蜀の民は杜鵑の声を聞くたびに望帝をしのんだと伝説される。ことは晋の常キョ(じょうきょ・キョは〈王偏に遽〉)の「華陽国志」に見える。また北魏のレキ道元(れきどうげん・レキは〈麗におおざと(邑)〉)の「水経注」には、もともと望帝は杜宇(ほととぎす)だったのであり、それが天下って蜀王となり望帝と号したのだという、別の伝説を引く。 ○月明珠有涙……「文選」の李善注に「月満つれば則ち珠全く、月虧(か)くれば則ち珠闕(か)く」(西晋の左思の呉都賦の注)という一文がある。月と珠すなわち真珠は縁語である。昔、ある人が海底に宝石を求め、人魚の宮殿に宿って涙の玉なる宝玉をえた。それは人魚の涙の結晶なのだと、六朝の小説「別国洞冥記」にいう。 ○藍田……色あおき山。陝西省藍田県東南に藍田山なる山があり、美玉を産し、玉山とも呼ぶが、ここは「山海経」に云う仙女西王母の住む玉山、つまり架空の仙山への連想をももつ。 ○玉生烟……「録異伝」に見える呉王夫差の娘、紫玉(しぎょく)の悲恋を暗示する。紫玉は侍僕の韓重(かんちょう)を愛し、父に結婚の許しを求めたが、呉王は怒って許さず、紫玉はそれを怨みつつみまかった。ある朝、呉王が髪をくしけずっていた時、庭に紫の玉の光るのが見えた。夫人がこれを聞き、走り出て玉を抱いたところ、玉は烟を出して燃え失せたという。一説に中唐の詩人戴淑倫(たいしゅくりん・732〜89)に「詩家の景は欄田日暖かにして良玉烟を生ずるが如し」云云という一文があり、一句はこれによるともいう。なお、前人諸家の解はこの二句を結句の惘然という言葉と対応して、夜に悲しみ昼にまぼろしをみる心情の詩的展開とする。いまは、しかし、その意味を含みつつ錦瑟を故人がかつて奏した記憶との関連に於いて下された一聯として解することとする。 ○可待……可は反語のはじめにくる助詞。 ○惘然……茫然自失のさま。 |