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    銭塘江春行  白居易

   孤山寺の北 賈亭かていの西
   水面初めて平らかにして雲脚低
   幾処いくしよの早鶯か 暖樹を争い
   誰が家の新燕か 春泥を啄む
   乱花 漸く人眼を迷わさんと欲し
   浅草 纔わずかに能く馬蹄を没す
   最も湖東を愛し 行けども足らず
   緑楊陰裡 白沙堤



銭塘江春行(馮羔臨・画)(漢詩への誘い・人生を詠う)
湖に春来り
水満ちあふれる
鶯さえずり
燕飛びかう
花咲き乱れ
草萌え出でぬ
君と行く東の岸は
柳並木の白沙の堤

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090   ←前の詩次の詩→


 銭塘湖は浙江省杭州市にある西湖。西南北が山に囲まれ、周囲約15キロ、総面積6平方キロの風光明媚な湖である。かつては銭塘江に通じていたが、流出する土砂によって孤立し、やがて砂州の内側が湖となった。武林湖、明聖湖とも呼ばれ、唐代では一般に銭塘湖と呼ばれた。西湖の称は、白楽天が杭州刺史在住中の長慶3年(823)の〈西湖より晩に帰り、孤山寺を回望して諸客に贈る〉に初めて見える。

   弧山寺の北、賈全亭の西、
   春になって水かさがようやく満ちてきた西湖の水面は、
   広々と水らに広がり、彼方には春雲がたれこめている。
   暖かい木を取り合うように鶯が飛んできて鳴き、
   どこに巣を作っているのか、渡ってきたばかりの燕が柔らかい泥を啄ばんでいる。
   日ごとに花は乱れ咲いて人の眼を迷わせ、
   青い草も伸びて馬の蹄を隠してしまうほどになった。
   一番好きなのは、湖の東。行っても行っても飽きることがない。
   緑の柳の枝に撫でられながら通う白沙の堤。

 白楽天は長慶2年(822)、51歳のとき中書舎人から杭州刺史となり、10月に着任した。この詩は、長慶3年かもしくは4年の春の作。
 首聯では湖のようす、頷聯では鶯と燕、頸聯では花と草、と早春の生き生きとした景を描き、尾聯では、湖の風景を心ゆくまで楽しむ作者の姿が詠われる。
 心はずむ作者の息使いまで伝わるような作である。
 なお「白沙堤」は白い砂の続く湖岸の路であるが、後に、湖の西、孤山から北へ築いた堤を指し、白楽天が築いたもの、として伝えられるようになった。

                 (石川忠久「漢詩をよむ・春の詩100選」)

《玉壷庵独白》
 訳詩で「君と行く東の岸」などとやってしまいました。これは馮羔臨画伯描くところの詩意図に影響されたものです。本来の詩のこころは、白楽天ただ独りの散歩であると思われるのですが、想いあう二人の散策とするのもいいものではないかと思います。



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