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2015年9月10日、天橋立への一泊旅行の途次、『大江山』の謡蹟を訪わんと、福知山市大江町の酒呑童子の里に立ち寄りました。大阪駅発11時11分の“こうのとり3号”に乗車、福知山駅でホームの反対側に停車している“はしだて1号”に乗り換え、ここから京都丹後鉄道の旅となります。 |
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大江山鬼瓦公園─ずらり並んだ鬼瓦 |
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大江山の雲海を描き、 酒呑童子の鬼面と盃を 配した、大江局風景印 |
大江郵便局の前で暫らく待っていますと、タクシーが到着しました。運転手さんに、鬼ヶ茶屋・鬼の足跡・頼光腰掛岩などを見物したい旨お願いし、大江山の鬼退治に出発いたしました。丹後鉄道の大江山口内宮駅を過ぎると、車は次第に山中へと誘われて行きました。 |
鬼の茶屋 |
道際に立つ鬼の像 |
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ここから酒呑童子の里 |
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鬼退治に向かう頼光の一行 |
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谷や峰を分け上り大江山を目指す頼光の一行 |
洗濯をする姫君と遭遇 |
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鬼に神便鬼毒酒を飲ませる |
鬼の首を打ち落とす |
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謡曲「大江山」梗概 |
謡曲で、酒呑童子が語るところによれば、童子はもと比叡山に住んでいたが、大師坊という“えせ人”がやって来たために比叡のお山を追い出された、とあります。ここでいう大師坊とは伝教大師最澄でしょう。最澄が叡山を開いたのは788年ころ。源頼光が大江山の鬼を追討したのは1018年ころとされています。童子が叡山に住んでいたときの年齢は不明ですが、叡山を出てから230年の歳月を経ています。酒呑童子が退治されたときの年齢は果して何歳であったものでしょうか。 |
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再び酒呑童子の里に立ち返り、里の内なる鬼の棲処を探訪いたしましょう。登山口から少し上ると右手に木造の建物やコンクリート造りの“鬼の交流博物館”が見えてきました。タクシーを止めたのは博物館の入り口付近の案内板の前でした。 |
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酒呑童子の里案内図 |
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鬼の博物館と青海浪唐破風門 |
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平成の大鬼 |
鬼の博物館前の小鬼 |
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青鬼の呑鬼 |
赤鬼の遊鬼 |
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大江山グリーンロッジ |
大江山口内宮駅 |
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(平成27年 9月10日・探訪) (平成27年11月 9日・記述) |