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青葉しげれる 桜井の |
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桜井の駅跡探訪地図 |
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謡曲「楠露」梗概 |
《桜井の駅跡》 大阪府三島郡島本町桜井1丁目 |
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桜井の駅跡のある三島郡島本町は大阪府の東北端にあり、府境を挟んで隣り合う京都府大山崎町との関係が深く、市外局番は“075-”であり、集配郵便局も山崎局で郵便番号は“618-”と、大山崎町同じになっています。桜井の駅跡は、現在は史跡公園として新しく設置されたJR島本駅の隣にたたずんでいます。 |
JR島本駅 |
島本新駅が開業する以前は、阪急水無瀬駅から楠の通りをまっすぐに進んだ突き当たりが史跡公園になっていました。入り口を入って左手に府立青年の家がありましたが、そのあたりに新駅が建設されており、駅前のロータリーを挟んで「島本町立歴史文化資料館」となっています。 |
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島本町立歴史文化資料館 |
かん太くん |
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「史跡桜井驛址」の碑 |
謡曲史蹟保存会の駒札 |
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楠公父子子別れの像 |
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正成これを最後の合戦と思ひければ、 |
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正行の生年については明確な史料が存在しないようです。『太平記』によれば「桜井の別れ」の当時は11歳とされており、それによれば嘉暦元年(1326)と推測されます。しかしこれは多くの史家が疑問視しているようです。『太平記』の記述を疑って正行の生年をもう少し遡らせ、父の戦死の時点で20歳前後であったという説も古くからありますが、これも明確な史料が存在しない以上推測の域を出ません。 |
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「楠公父子訣別之所」の碑 |
明治天皇御製の碑 |
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旗立松 |
楠公六百年祭記念石碑 |
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「楠公父子訣児之處」の碑 |
「忠義貫乾坤」の碑 |
公園の入り口近くの楠木の木陰に、「楠公父子訣児之處」の碑と「忠義貫乾坤」の碑が建てられています。 |
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パークスの賛辞 |
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観心寺の正成像 |
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正成涙を うち払い |
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(平成28年 5月27日・探訪) (平成28年 6月10日・記述) |